2012.05.18.20.50

「当事者」の時代!? シンディー・ローパーの行動を題材に

3.11.直後の事である。震災の余波と原発からの遺漏、その直後の煽りを受けて、いくつものエンターティメント関連の催しが中止ないしは延期されて行った。しかし、その中を、スケジュール通りに来日ツアーを敢行したアーティストがいる。シンディ・ローパー (Cyndi Lauper) である。日米双方の関係者やレコード会社からの中止要請にも関わらずに、だ。

皆で集まって、一緒に歌うことができる。<中略>ロックンロールが世界を救う (Rock-n-roll Can Heal The World)」 [於:日本外国特派員協会 (The Foreign Correspondents' Club Of Japan) 2012.03.16.] という彼女の発言と、それを文字通りに実行して行く姿は、3.11.直後にいくつも、そして、何度も流通する美談の中にあって、ぼくにとっては少し複雑な心境に陥らさせられるモノだった。

1985年の事である。
シンディ・ローパー (Cyndi Lauper) はマイケル・ジャクソン (Michael Jackson) とライオネル・リッチー (Lionel Richie) 等が主導するプロジェクト、USAフォー・アフリカ (United Support Of Artists For Africa) とそのチャリティー・シングル『ウィ・アー・ザ・ワールド (We Are The World)』のレコーディングに参加する。

余談だけれども、これにはマドンナ (Madonna) は参加していない。前年に大ブレイクした新進の女性シンガーふたりのうち、ひとりは参加し、ひとりは不参加なのである。当時のワナビーズ (Madonna Wannabe) に代表されるマドンナ (Madonna) のパブリック・イメージ (Public Image) から考慮すると、止む終えないと同時に自明な気もする [実際に当時のぼく達は彼女が"呼ばれなかった"事は小気味よいモノに想われた]。ただ、実情はどうあれ、このプロジェクトの人選が、単なる人気度や知名度といった商業的な尺度で行われたのではないという様に観える気が、当時はした。参加した45人のアーティスト (45 Performers) は、このプロジェクトの趣旨に賛同するのは当然としても、音楽的な実力と技術をも要求されている、そんな無言の立証が、このふたりの女性アーティストの扱いで謀られている様に想えるのである。
つまり、当時の誰でもが想う様に、ヴィジュアルの奇矯さでは共に激しく競うふたりだけれども、歌唱面においては、どこかに歴然とした差があると言う事なのである。しかも、シンディ・ローパー (Cyndi Lauper) はともかくとしても、マドンナ (Madonna) はこの数年で消えてしまうだろうというのが、ある種の音楽ファンにとっては共通認識だったのである [その予測が悉く裏切られ続けているのは、みなさんご存知の通りである]。

さて、そのシンディ・ローパー (Cyndi Lauper) だけれども、『ウィ・アー・ザ・ワールド (We Are The World)』のレコーディング時にあるトラブルを起こす。
45人のアーティストが一堂に会したヴォーカル収録の際の出来事である。仮録音も含めてリハーサルをしていると、聴こえてはならない筈の雑音がするのである。そして、その雑音の張本人が、シンディ・ローパー (Cyndi Lauper) だったのである。
つまり、当時の彼女のステージ衣裳そのままに幾つも幾つも身に纏っていたアクセサリー類が、その発生源だったのだ。勿論、その総てのアクセサリー群を総て外した上で、作業は再開され、事無きを得る。
ちなみに、これらの光景は総てレコーディングと同時に行われていたドキュメンタリー・ヴィデオに余す所なく収録されている。当時、テレビ番組として放送された筈だから、リアル・タイムにこれを観たヒトは多いと想う [その模様は現行DVD『ウィ・アー・ザ・ワールド:ザ・ストーリー・ビハインド・ザ・ソング (We Are The World 〜The Story Behind The Song〜)』でも確認出来ると想う]。

そのドキュメンタリー・ヴィデオの映像の中では、一大プロジェクトに起きたちいさなエピソードのひとつとしての扱いでしかない。

だが、その映像を観るかなり以前、このプロジェクトとこの曲の第一報が流れ、その後しばらくして、このちいさなエピソードを聴いたばかりのぼく達は、そこにあるのは、参加アーティストの意識の低さの顕われと理解したのだ。
飢餓救済のプロジェクトに参加する人物が、"宝石ジャラジャラ (All the rest of you, if you'll just rattle your jewelry.)" [(C) 1963 ジョン・レノン (John Lennon)] なのである。
パンク (Punk)〜ニュー・ウェイヴ (New Wave) とその基本理念であるDIY精神 (Do It Yourself Ethic) に感化されていたぼく達から観れば、「へへん、御里が知れらぁ (Give Oneself Away)」とでも放ちたい様なエピソードなのである。

と、言うのは、USAフォー・アフリカ (United Support Of Artists For Africa) にしろ『ウィ・アー・ザ・ワールド (We Are The World)』にしろ、その前年に英国で興きたプロジェクトであるバンド・エイド (Band Aid) とその曲『ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス (Do They Know It's Christmas?)』のパクリ以外のナニモノでもなく、しかも、そのオリジネイター自身ですら、信仰や宗教感の異なるヒトビトに向けて唄う歌がクリスマス (Christmas) 云々では、あまりに起きている事象への認識があまりに低レベルではないだろうか、それがぼく達の当時の認識だったからだ。
尤も、ぼく達と言っても、それは非常にちいさな世界での見解であって、当時の音楽ファンの大半の関心事は、誰がどのパートを任されたのか、そして、そのパートが曲の中のどれ程の重要度があるのか、という部分に集中していたと想うのだけれども。

そして、その低レベルの主人公であった筈のシンディ・ローパー (Cyndi Lauper) が四半世紀後に、震災直後で揺れ続け放射線が洩れ続けている日本を行脚して廻ったのだ。
これを果たしてどおゆう風に看做すべきなのだろうか。

どこかで彼女の認識が転換したのか、それとも、意識が高まったのか。そんな事件やきっかけが彼女に起きたのか。
それとも先の発言「皆で集まって、一緒に歌うことができる。<中略>ロックンロールが世界を救う (Rock-n-roll Can Heal The World)」 [於:日本外国特派員協会 (The Foreign Correspondents' Club Of Japan) 2012.03.16.] はそのまま、USAフォー・アフリカ (United Support Of Artists For Africa) の時に、もう既にあった認識なのだろうか。
ぼく達が「御里が知れらぁ (Give Oneself Away)」と揶揄したアクセサリー云々等は、実は彼女自身から観れば、非常に些末な事象に過ぎないのかもしれない。昨年の彼女の行動と意識から慮れば、今となっては、そんな結論をもありえるのである。
しかし、だからと言って、これを本人に糾したとしても、望まれる様な回答が得られよう筈はない。

このちいさなエピソードを観るだけでも、佐々木俊尚 (Toshinao Sasaki) 曰くの「当事者性」[cf.『「当事者」の時代』新書版 / 電書版] は、昨今始ったばかりのものではない。それだけは否定しようはないと想う。
旧くて新しい問題と言えばいいのか。否、その逆だ。新しくて旧い問題と呼ぶべきだ、とぼくは思う。
しかもそれは、シンディ・ローパー (Cyndi Lauper) 達を「へへん、御里が知れらぁ (Give Oneself Away)」と断罪したぼく達の鼻面の先にも、ぶら下がっているモノでもある。
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>=OyO=さん

「何年も前の記事」にコメントありがとうございます。

冷静に考えると、彼女自身はあのレコーディング以前に、自己の作品を収録している訳ですよね。
と、なるとその際には「宝石ジャラジャラ」がレコーディングの妨げにならなかったか否かと、謂う事を考えています。
もしかすると「宝石ジャラジャラ」は、あのドキュメンタリー制作の為の演出ではなかろうか、そんな事を考えている訳です。
また、そんな作為がなかったとしても、何故あの映像をそのまま放送したのか(彼女の側に立つモノ達はそれを許したのか)と謂う事もまた同時に疑問です。

頂いたコメントに対して相応しいかどうかは不明ですが、今、考えている事はその様な内容です。

2015.11.12.17.01. |from たいとしはる feat. =OyO=| URL

No title

外面で人を救うわけでもないし、行動の価値が決まるわけでもない。
飢餓を救済するのに、宝石ジャラジャラではなく身体ガリガリじゃなければいけないわけでもあるまいに。

体面を気にし過ぎる割には実行に移さない人間よりは、偽善だろうとなんだろうと行動を起こす人間の方がマシだわ。救いを求めている側からしたら余計にね。
ま、何年も前の記事にコメントした所で意味ないだろうけど。

2015.11.12.15.22. |from =OyO=| URL


>添え状の書き方さん

> とても魅力的な記事でした!!
ありがとうございます。
なにか参考になっていただければ幸いです。

2012.06.07.11.30. |from たいとしはる feat. =OyO=| URL


とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

2012.06.07.11.23. |from 履歴書の書き方| URL

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