2010.08.17.19.10

ちはやふるかみよもきかすたつたかはからくれなゐにみつくくるとは

ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは (Even when the gods / Held sway in the ancient days, / I have never heard / That water gleamed with autumn red / As it does in Tatta's stream)』は、在原業平 (Ariwara no Narihira) の作で、古今和歌集 (Kokin Wakashu) に収められたもの。ご存知の通り、小倉百人一首 (Hyakunin Isshu) のうちのひとつである。

詞書 (A Foreword) によれば、この歌は、二条の后 [清和天皇 (Emperor Seiwa)皇后 藤原高子 (Fujiwara no Takaiko)] が春宮の御息所 (Mother Of The Crown Prince) であった時に、屏風 (Byobu) に描かれた紅葉の竜田川 (Tatsuta River) を詠んだ歌だそうだ。
つまり、現実に流れる竜田川 (Tatsuta River) の清流に臨んで詠んだのではなくて、あくまでも、屏風 (Byobu) という美術工芸品を観た、二次的な体験を詠んでいるという点にポイントがある。

単に観たまんまを詠んだとも言えるし、当時、在原業平 (Ariwara no Narihira) は藤原高子 (Fujiwara no Takaiko) と恋愛関係にあった (Fall In Love) という説もある事だから、裏の意を汲もうと思えば汲めない事もない。

古今集仮名序 (The Japanese Preface)』で、紀貫之 (Ki no Tsurayuki) が「在原業平はその心あまりて、ことば足らず」という論調が、読むモノの脚許を掬う気がするけれども、それにしても、下の句のk音の響きが心地よい。
からくれなゐに 水くくるとは (That water gleamed with autumn red / As it does in Tatta's stream)」

だから、藤原定家 (Fujiwara no Teika) が小倉百人一首 (Hyakunin Isshu) にこの歌を選んだのも当為ともいえるのだけれども、やっぱり釈然としないものも遺る。
在原業平 (Ariwara no Narihira) と言えば六歌仙 (Six Best Waka Poets) のひとりにして、歌名の高さに比べて不遇の身に甘んじた人物。しかも、『伊勢物語 (The Tales Of Ise)』の主人公に準える程の、恋多き人物と看做されている。
伊勢物語 (The Tales Of Ise)』に登場するものだけでも、技巧で言えば「からごろも 着つつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ (I left behind my wife in the city of Kyoto, and now have come a long way. Like comfortable clothes, we have come to be comfortable with one another. The feeling of loneliness come home to me.)」だし、旅愁で言えば「名にし負はば いざ言問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと (Miyakodori ! alas, that word Fills my heart again with longing, Even you I ask, 0 bird, Does she still live, my beloved ?)」だろうし、相聞歌であれば「つつゐつの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに (My height that we measured / At the well curb / Has, it seems, / Passed the old mark / Since last I saw you)」でも良い。
にも、関わらずに藤原定家 (Fujiwara no Teika) が選んだのは、この屏風にある竜田川 (Tatsuta River) を詠んだ歌なのである。

やっぱり、技巧に奔った叙景歌などではなくて、この歌の底には恋が潜んでいるのだろうか?
実は、この歌の背景にはもうひとりの人物と、その彼が詠んだ歌が隠されているのである。

古今和歌集 (Kokin Wakashu)』には、この歌の前に、同じ詞書 (A Foreword) の下に、こんな歌が詠まれている。

もみぢ葉の ながれてとまる みなとには 紅深き 浪やたつらん

詠んだのは、素性法師 (Sosei)。
屏風 (Byobu) に流れる紅葉の、その行く末を案じた歌と、その表向きは解釈できるのだけれども、藤原高子 (Fujiwara no Takaiko) と在原業平 (Ariwara no Narihira) の恋の行く末を当てこすった歌と、読む事も出来るのだ。

images
以上の妙意を踏まえて藤原定家 (Fujiwara no Teika) が、あまたある在原業平 (Ariwara no Narihira) の名歌の中からこの歌を選んだのだろうか?
それは解らない。
歌集の様な編纂された体系も持たず、詞書 (A Foreword) という歌の成立過程を示す情報すら排除されて、小倉百人一首 (Hyakunin Isshu) は襖色紙 (Decorate Screens Of The Residence) として、先ずは誕生した。上代から藤原定家 (Fujiwara no Teika) にとっての現代、数多くの歌人とその作品の中から、一人一首づつ選び出すその作業には、何からの意図が隠されていたのかも知れない [例えばここに書かれていた様に]。
だから、「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは (Even when the gods / Held sway in the ancient days, / I have never heard / That water gleamed with autumn red / As it does in Tatta's stream)」が単なる屏風 (Byobu) 絵の叙景歌にも、途亡き恋のあとさきにも、そのどちらにも解釈出来るし、藤原定家 (Fujiwara no Teika) が選んだその時点でもしかしたら、それ以外の意趣が隠されてしまったり埋め込められてしまったのかもしれない。

と、いうわけで、この歌の、もうひとつの秀逸な解釈を紹介しよう。
といっても落語(Rakugo) の『千早振る』だけれどもね。

娘に在原業平 (Ariwara no Narihira) のこの歌の解釈を尋ねられて答えに窮した八五郎が、先生こと岩田のご隠居に智慧を授かりにきた次第である。
しかし、岩田のご隠居でさえも、実はこの歌の意を知らぬ。しかし、知らぬとは例えにも出す訳にもいかない、己は先生である。
そこで、ない智慧を絞って、即興で出鱈目な解釈を講釈するという寸法である。
その講釈では、大関 (Ozeki) 竜田川と花魁 (Oiran) 千早の色恋沙汰の人情世話噺になってゆくのだが...。

さて、ここでこの噺の笑いを分析するというとっても野暮な事をしなければならないのだが、まぁ、ここまで読んでしまった身の不運を恨めしがりながら、黙って聴いて頂きたい。
この噺の基本的な笑いは、先生こと岩田のご隠居の知ったかぶりにあるのだけれども、逆に言えば、岩田のご隠居の窮余の講釈が知ったかぶりであるという事を、この噺の聴き手は、既に知っていなければ笑えない。
つまりは、この噺が創られた当時、その聴き手の多くである町人 (Chonin) 階層にも、この歌は馴染みのものであり、その歌の意味や解釈はきちんと浸透していたという前提があって、初めてこの噺は成立するのである。小倉百人一首 (Hyakunin Isshu) は、なにも、歌留多遊び (Karuta) や坊主めくりに興じるその一用具としての機能ばかりではないのだ。もしかしたら、現代の我々よりも、彼らは歌の世界に馴染んでいたのかもしれない。

そして、もうひとつ。

岩田のご隠居が物語る人情世話噺の後段で、竜田川は大関 (Ozeki) を廃業して豆腐屋 (Tofu-ya)となり、千早は乞食 (Begger) に身をやつしている。
ここですかさず八五郎岩田のご隠居に問い糾す。

ちょっと、いい加減にして下さいよ。<中略>全盛を極めた太夫が乞食ンなったり...なんだって乞食なんぞになるんですよ

リーマン・ショック (Lehman Shock) という、100年に一度の大不況という、未曾有 (Unprecedented) の体験をしてしまった我々ならば、然りと平然と答えるであろう。しかし、徳川開幕300年 (Tokugawa Period Japan [1598-1854]) の太平楽を決め込んでいた彼らならば、八五郎の問いかけには、狼狽えてしまうかもしれないし、逆に言えば、八五郎の疑問は至極真っ当のものに思えるだろう。
しかし、花魁 (Oiran) が乞食 (Begger) にまで落ちぶれる物語は、実は、ある階級には、よくあるエピソードとして、通用していたのである。

(Noh) である。当時の上流階級であり、支配階級が産み出した文化である。

(Noh) では狂女物 (Kyoran mono) や小町物 (Komachimono) といった、かつては高貴な女性が、ある事件をきっかけに発狂したり、身を持ち崩したりするのは、物語の常道だったのである。
隅田川 (Sumidagawa)』では、息子を攫われた高貴な身分の女性が物狂いとなって息子の行方を追う物語だし、『卒都婆小町 (Sotoba Komachi)』では老醜の小野小町 (Ono no Komachi) が、かつての栄華を語るうちに、往時の恋人が顕われる物語なのである。

だから、もし岩田のご隠居が正真正銘の「先生」であるならば、いずれかの例を持ち出して、やり込める事だって出来ただろう。
しかし、岩田のご隠居にはそれが出来なかった。狂女物 (Kyoran mono) や小町物 (Komachimono) を知っている聴き手ならば、ここでも笑う事が出来る。

そして八五郎の疑問とは、そんな花魁 (Oiran) が乞食 (Begger) になるような、そんな"いい加減"な物語を容認する、 (Noh) への糾弾なのである。
つまり、八五郎の問いかけは、彼らの支配階級である武士 (Bushi) の文化= (Noh) への疑義とも解釈出来るのだ。

そして、岩田のご隠居の知ったかぶりが竜田川と千早の人情世話噺を産んだ様に、能もその様な誤読から産まれたのではないだろうか、という申し立てにも、実は読めてしまうのだ。

しかも蛇足を承知で書けば『隅田川 (Sumidagawa)』のモチーフは、在原業平 (Ariwara no Narihira) の「名にし負はば いざ言問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと (Miyakodori ! alas, that word Fills my heart again with longing, Even you I ask, 0 bird, Does she still live, my beloved ?)」なのである。

以上、ネットを渉猟しまくったその結果を、知ったかぶりを決め込んで綴ってみた。

次回は「」。
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