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2018.12.11.09.39

よーぜふかー

を主人公とする小説『審判 (Der Process)』 [作 19141915年執筆 作者死後1927年発表] を数十年ぶりに再読した。今年初頭から青空文庫 (Aozora Bunko) にある公開中作家リスト (Now Showing List Of Authors) [五十音順 (Japanese Syllabary Order)] に従って読み進め、ようやくフランツ・カフカ (Franz Kafka) まで辿り着いたからである。猶、その作家別リスト [五十音順 (Japanese Syllabary Order)] は姓名でのそれに対応しているので、その作家は"カ (Ka)"の項目にある事を、念の為に申し添えておく。

その小説の外観もしくは主題と看做されているモノに関しては、この数十年の間に、幾つかの論考で接してはいる。しかし、読み始めていくと、流石に殆ど、憶えていない。
否、それ以上にこんな小説だったのだろうかと驚かされてもいる。初読の際の印象と、読み漁った論考による印象とは、少し違う。

もしかしたら、訳者が異なるのではないだろうかとも思った。翻訳者の違いによって、あるひとつの物語が全く異なるふたつの物語として登場するのならば、こんなに面白い事はない。然し乍ら、青空文庫 (Aozora Bunko) 掲載のその小説の翻訳家は原田義人 (Yoshito Harada) で、ぼくが初読したのは新潮文庫 (Shincho Bunko) 版の『審判 (Der Process)』 [1971年刊行]、つまり同じ訳なのである。

何故、こうも違うのだろう。おのれの記憶の不確かさを糾弾するよりも、初読の際のそれと今回の際のそれの違いが気になって仕様がない。そんな事ばかり考えながら、再読を進めていったのだ。

この小説で憶えている部分は、次の数箇所だ。
物語の冒頭、主人公ヨーゼフ・K (Josef K.) が見知らぬ2人組の訪問客に逮捕される場面、ヨーゼフ・K (Josef K.) が最初の審理に向かった際の顛末、彼が務める銀行の顧客を接待する際に向かった大聖堂で語られる挿話、そして、主人公の最期の場面だ。
猶、大聖堂で語られる挿話は、フランツ・カフカ (Franz Kafka) 自身によって独立した短編小説『掟の門前 (Vor dem Gesetz)』 [1915年発表] として発表されているから、この数十年間の間にその短編小説を読んだ結果なのかもしれない。
また、ぼくの記憶を補完するするモノとして、小説『審判 (Der Process)』 を原作とする映画『審判 (The Trial)』 [オーソン・ウェルズ (Orson Welles) 監督作品 1962年制作] をかつて観た、その体験が機能している可能性はある。

初読の際のその小説の記憶は、極めて抽象的で寓意的な存在として、ぼくのなかにある。しかし、今回再読していく過程のなかで育まれていった読後感は、極めて下世話で現実的な物語であるかの様なのだ。

一言で謂えば、何故、こんなにも理不尽で不合理な事に遭遇しなければならないのだろう、それが初読の際の記憶であって、再読している際は、ああ下手を打っているなぁと謂う感慨ばかりなのだ。つまり、前者では主人公ヨーゼフ・K (Josef K.) の立場にぼく自身を落とし込めて読んでいて、後者では随分と彼を客観視し、彼の言動を批判的に眺めているのである。
と、同時にかつては現実社会ではあり得ない出来事ばかりが出来しそれに翻弄されるしかない、そうみえていたモノが、いまのぼくには、かつてあり得た出来事ないしは現在でもあり得そうな出来事に思え、ヨーゼフ・K (Josef K.) の不幸は、それに上手く対応できなかった処世術の不手際であるかの様に思えているのだ。

物語に登場する場面の幾つかは、下層社会で展開し、物語の題名にもなっている「審判 (Der Process) 」に代表される様な、司法手続きがそんな場所で行われるとは思えない。
しかし、叔父カール (Onkel Albert K.) の強引な引率によって紹介された弁護士フルト (Advokat Huld) と彼の言動は、現実にありそうな気がするのだ。少なくとも、作家が活きていた時代にその様な弁護士が存在しなくとも、もっと旧い社会にはいても不思議ではない、そんな気がするのである。
架空の世界、ありえない世界で繰り広げられる物語というよりも、旧い社会の旧い体質が [作家の] 現在の世界に今尚、根付いている、もしくは滲み出している、そう読めてしまうのである。

例えば、青空文庫 (Aozora Bunko) にある公開中作家リスト (Now Showing List Of Authors) での、フランツ・カフカ (Franz Kafka) の10数名下には、河口慧海 (Ekai Kawaguchi) の名前があり、そこで読めるその著書は紀行文『西蔵旅行記 (Three Years In Tibet)』 [1904年発表] である。1897年から1903年にかけて行われた河口慧海 (Ekai Kawaguchi) のチベット (Tibet) 行、つまり小説『審判 (Der Process)』 が執筆される10年程前にあった実話である。
そこで河口慧海 (Ekai Kawaguchi) が実際に遭遇する幾つかの出来事は、視点をすこしずらせてみれば、まるで小説『審判 (Der Process)』 での出来事の様なのだ。特に、チベット (Tibet) を出国した後の、ネパール (Nepal) での顛末がそれを思わせもする [いや、偶々、昨夜、そこを読んでいただけの事]。尤も、河口慧海 (Ekai Kawaguchi) の場合は、その煩わしさにも関わらず、自身の目的をものの見事に達成してしまうのではあるが。

そう読んでしまえば、合理的な現在の若者である青年がそれと否応もなく闘う必要に迫られ、その結果、敗れ果てていく様を描いた作品と、位置付ける事も可能だろう。

と、謂うのも、「逮捕」され「審判 (Der Process) 」を待つしかないヨーゼフ・K (Josef K.) の、もうひとつの駄目な点にめがいってしまうからである。それは、彼の目前に登場する幾人かの女性との逢瀬だ。
彼の家主であるグルーバッハ夫人 (Frau Grubach) や、隣室のビュルストナー嬢 (Fraulein Burstner) とは実際にあって、自身にあった事柄を語らねばならないのは事実である。しかし、常にそれ以上のモノを語ろうとして、文字通りに語るに落ちて、処すべき場所を見失ってしまう。さもなければ、弁護士フルト (Advokat Huld) の看護師レニ (Leni) からは必要以上の関係を求められると同時に、自身もそれに勝るモノを得ようと足掻いてしまう。
しかも、事件の前から交遊のあるエルザ (Fraulein Elsa) へは、その事件の煩雑さから逢う気もおきない [彼女との挿話は、物語全体の構成から外れた断章のひとつとして遺されてはいる] 。
ある意味で、女性達に対して起きるヨーゼフ・K (Josef K.) の不手際は、あまりにも生々しくて現実的に思えてしまう。きっと、この俺もこうなのだ、と。
その結果、再読の渦中では、もしかしたら、実はこちらの方が物語の主題なのかもしれない、そんな疑念も不意に沸き起こるのだ。

[先に挙げた『西蔵旅行記 (Three Years In Tibet)』でも似た様な逸話がある。河口慧海 (Ekai Kawaguchi) がチベット (Tibet) を出国する際に越えなければならない幾つもの関所では、女性に助力を願う必要に迫られる。こちらも、ヨーゼフ・K (Josef K.) の場合とは異なり、その女性の実力と威光が遺憾なく発揮され、河口慧海 (Ekai Kawaguchi) の困難を救ってしまうのだ。]

だから、先にこの物語の最期を捉えて綴った「いぬじに」という拙稿は、全面的に書き直す必要があるかもしれない、そう思えてもいる。

images
上掲画像は映画『審判 (The Trial)』のスチル写真のひとつ [そのとびらのまえではあたかもちからないこびとの様にみえる、主役のヨーゼフ・K (Josef K.) を演じたのはアンソニー・パーキンス (Anthony Perkins) だ] である。だが、小説『審判 (Der Process)』のヨーゼフ・K (Josef K.) に立ちふさがっているのは、こんなにも解りやすいかたち、巨大で堅牢で一枚岩なかたちをした障碍ではない。もっと有機的で複雑で多様性のある不定形な代物、しかも、彼自身さえもがその障害のひとつでもあり得る、その様なモノなのではないだろうか。

次回は「」。

附記:
ヨーゼフ・K (Josef K.) をつい"よーぜふけい (Yozefu Kei)"もしくは"よーぜふけー (Yozefu Ke)"と読んでしまうが、彼を主人公とする小説は独語 (Deutsche Sprache) で綴られたモノであるから、厳密に謂えば、"よーぜふかー (Yozefu Ka)"と読むべきなのだ。
と、同様に、彼の名前にちなんでポール・ヘイグ (Paul Haig) らによって結成されたスコットランド (Alba) 出身のバンドは、ジョゼフ・K (Josef K) と表記すべきなのである。
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