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2018.10.30.08.56

ぎょー

楳図かずお (Kazuo Umezu) の短編マンガ『怪獣ギョー (Kaiju Gyo)』 [1971週刊少年サンデー連載] は,リアルタイムでその掲載誌上で読んだ。記憶が正しければ、前後編の2回にわたって掲載されていた筈である。

物語は非常に単純な構造を成している。そこに登場する怪獣ギョー (Kaiju Gyo) の猪突猛進ぶりがそのまま象徴するかの様に、ただひたすらにある結末に向かって突き進む。それ故に、作者の表現力や描写力に圧倒される。
と同時に、それがひた隠しに隠そうとするかの様におもえる結末の真意、つまり、そこにある悲しみと哀しみがこころの奥底に遺る。

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主人公の少年は病弱で孤独である。周囲から疎んじられ「怪獣 (Kaiju)」と謂う渾名で蔑まされている。
ある日、彼は浜辺で、瀕死の1尾の魚と出逢う。その様相は異様でかつ異常である。彼はその魚をギョー (Gyo) と名付け介抱をし面倒をみはじめる。少年が孤独である様に、その魚も孤独である様だ。だが、ある日、心ない大人の介入により、1人と1尾の関係は終焉を迎えざるを得ない。
[上掲画像はこちらより]

物語の端緒となるここまでは、どこにでもあるモノである。幼いモノの孤独を癒せるモノが、知人や肉親ではない、他のモノである事は多々ある事である。そして、そこで築かれていたモノが些細な出来事によって奪われてしまう事も。
もしかしたらそれはおさないときに、だれしもが体験した事があるかもしれない。
ただ、その少年が特異であるのは、彼がこころを寄せる相手が犬や猫といった禽獣、もしくは、人形の様な玩具ではない、異様な風体をした魚であった、その事だ。

物語の続きを追う。

少年は成長し、いまや1人息子もいる。ちょうど、彼が「怪獣 (Kaijyu)」と呼ばれていた頃の年齢である。
ある日、彼が棲む街に危機が訪れる。彼の勤めている会社の原子炉 (Nuclear Reactor) が暴走し、その暴走を誰もとめられないのだ。一切の努力が無駄である、死と破壊を待つだけであると悟ったその時、彼は無意識のうちに、ギョー (Gyo) に救いを求めて叫んでしまう。それに呼応して、彼と同行していたその1人息子も同じく叫ぶのだ。「ギョー (Gyo) 」と。
その叫びに呼応して海から顕れたのは、かつてのその姿よりも遙かに巨大化したギョー (Gyo) 、怪獣 (Kaiju) となったギョー (Gyo) だった。
彼は彼を求める叫び声のあるところに一直線に向かう。彼を停め得るモノはなにひとつない。彼が疾走するその後に遺るのは、破壊され壊滅したモノばかりである。

ここまでの経緯を読んでふと思い出すのは、レイ・ブラッドベリ (Ray Bradbury)の短編小説『霧笛 (The Fog Horn)』 [1951年発表] である。その小説に登場する太古の生物も、おのれを呼ぶ声の求めに従って、深海から海上へとその姿を顕したのではなかったか。そして、その声の主が、おのれと同種の仲間でなかったが故に、彼は破壊しかもたらせられない。と同時におのれが孤独であると謂う否応もない事実をつきつけられるのである。

怪獣ギョー (Kaiju Gyo) の登場とその破壊によって最悪の事態は回避される。しかし、それはまた、怪獣ギョー (Kaiju Gyo) 自身にとっての、最悪の物語と化してしまう。
少年と再会した怪獣(Kaiju) は、ともに海に還ろうとする。まるで1人と1尾の孤独を癒せるのは、それぞれにとって、それぞれただひとりしかいないとでも謂うかの様に。
しかし、彼が少年だとおもったのは、彼に尽くしてくれたあの少年の1人息子だったのである。その父親こそが、かつての少年だったとは思いもしらなかったのである。

楳図かずお (Kazuo Umezu) の真骨頂はここで発揮されている。
マンガ『赤んぼ少女 (Akanbo Shojo)』 [1967週刊少女フレンド連載] では産院 (Maternity Hospital) で取り違えが起きる。マンガ『半魚人 (Hangyojin)』 [1965週刊少年マガジン連載] では生体実験 (Medical Experimentation On A Living Person) の被験者が取り違えられる。マンガ『おろち (Orochi)』  [19691970週刊少年サンデー連載] の1篇『姉妹 (Sisters)』では、その姉妹のあいだにおおきな誤解が生じている。

彼の作品には誤解や錯誤がおおきなモチーフとなっているのだ。

自身もそう綴っている。
「『おろち』の<姉妹>は、誤解がドラマとしてかかれているところがあるが、話そのものが、誤解がなければドラマは生まれないものなんだ」(『恐怖への招待 (Invitation To Terror)』 [1988河出文庫刊] より抜粋)

しかし、それは楳楳図かずお (Kazuo Umezu) ならではのモノなのだろうか。
上の引用文は、自作のみについての発言なのか、それとも物語全般をさしてのものなのか、判別に悩むところがある。

異界から、ヒトならぬモノがある人物を異界へと誘おうとする。しかし、そのモノが連れて行こうとするのは、その人物によく似ていて、しかもその人物にとって、かえることのできないヒトなのである。

マンガ『怪獣ギョー (Kaiju Gyo)』の物語を、上の様に抽象化してみると、どこかの怪異譚やだれかの恐怖譚で、体験した事がある様な気もするのだ。
流石に、物語の類型 (The Types Of The Folktale) にはこれとよく似た構図は見受けられないが、怪奇や恐怖の類型 (The Types Of The Horro Of The Terror) にはありそうな気がするのだ。だが、その根拠がいまだに見出せずに、ずっとぼくのなかで曖昧模糊としたかたちで浮遊している。
それとも、純粋に楳図かずお (Kazuo Umezu) ただひとりによる、物語の構造なのだろうか。

なお、マンガ『怪獣ギョー (Kaiju Gyo)』を読んだ当時のぼくは、その作品に於いて、おとなになる事の意味を教わった様な気もしている。つまり、なにを得てなにを喪うか、と謂う、その事である。
しかも、当時のぼく自身が病弱だったが故に。

次回は「」。

附記:
マンガ『怪獣ギョー (Kaiju Gyo)』は、その出自をTV番組『ウルトラQ (Ultra Q)』 [1966TBS系列放映] に登場すべき怪獣として構想されていた怪魚ギョオ (Kaigyo Gyo) にその基を尋ねる事が出来ると謂う。詳しくは『ウルトラQ伝説 (The Legend Of Ultra Q)』 [ヤマダ・マサミ (Masami yamada) 著 1998年刊] に綴られている。
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