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2018.10.02.08.52

たからじま

ぼくはそのとき『あしながおじさん (Daddy-Long-Legs)』 [作:ジーン・ウェブスター (Jean Webster) 1912年発表] を読んでいた。ジュブナイル (Juvenile)、児童向けの本だ。小学校2年生のときだとおもう。両親のいずれか、もしくは近所に棲む親戚が買い与えたものだ。ただ、買い与えたとはいうものの、その決定権はぼくにあった様に記憶している。近所の書店につれていかれ「このコーナーにあるなかから1冊」そんな条件のもとで選んだ筈なのだ。これはマンガ (Comic) は買ってやらないと謂う意思表示でもある。選んだのはいいが、何故、それにしたのかがいまのぼくにとっては、てんでよく解らない。と、謂うのは、その物語の主人公は少女で、そしてそれであるが故に、ぼくに共感や感動が起ころうとも思えないのだ。

まさか、その題名から恐怖小説めいた作品を連想した訳でもあるまい。
その表紙にあるイラストは、正装したひょうろながい男性のシルエット像が掲載されていたのだが、その姿は後年知る事になる映画『イエロー・サブマリン (Yellow Submarine)』 [ジョージ・ダニング (George Duning)、ジャック・ストークス (Jack Stokes) 監督作品 1968年制作] に登場するアップル・ボンカーズ (Apple Bonkers) の様でもある。

そうは謂っても、せっかく買い与えられた本だから、きちんと最後まで読んだ。病気がちの当時のぼくには、読書にかけられる時間は十二分にあったのだ。
だから、物語冒頭の、主人公ジルーシャ・アボット [後にジュディ・アボット] (Jerusha Abbott [Judy Abbott]) による、自身が育ちそしてそこで暮している孤児院の描写はよく憶えている。そしてその描写がある故にこそ、彼女があしながおじさん (Daddy-Long-Legs) ことジョン・スミス (John Smith) なる人物に見出されるきっかけとなるのだ。
そして、そこでの描写にひきずられるがままに、ぼくはいまだにギンガム (Gingham) にはいい印象を抱けない。

その部分をはじめ、その物語は終始一貫して主人公ジルーシャ・アボット [後にジュディ・アボット] (Jerusha Abbott [Judy Abbott]) の視点で語られる。否、綴られていると謂い直すべきか。何故ならば、その視点の一切は、彼女からあしながおじさん (Daddy-Long-Legs) ことジョン・スミス (John Smith) に宛てた書簡であるからなのだ。

そこで綴られている彼女の日常と共に、ときに拙いながらも趣きのある素描が掲載されている。その物語の作者ジーン・ウェブスター (Jean Webster) 自身が描いたモノだ。
勿論、ぼくの読んでいるそのジュブナイル (Juvenile)には当然の様に、日本人のイラストレーターが描いたいくつかの挿絵もあわせて掲載されているが、それらとはまったく趣きが異なっている。
単純にその違いを謂えば、日本人イラストレイターの挿絵は客観描写だが、作者ジーン・ウェブスター (Jean Webster) のそれは主観に基づくモノだ。つまり主人公ジルーシャ・アボット [後にジュディ・アボット] (Jerusha Abbott [Judy Abbott]) 自身が描いていると謂っても良い。

と、ずうっと『あしながおじさん (Daddy-Long-Legs)』論を続けてもいいのだが、表題にあるのは「たからじま」、これに関してそろそろ舵をきらなければならない。

ここで謂う「たからじま」とは小説『宝島 (Treasure Island)』 [作:ロバート・ルイス・スティーヴンソン (Robert Louis Stevenson) 1883年発表] の事である。

小説『あしながおじさん (Daddy-Long-Legs)』に於いて、その小説『宝島 (Treasure Island)』が言及されているのである。物語の中の視点で語れば、主人公ジルーシャ・アボット [後にジュディ・アボット] (Jerusha Abbott [Judy Abbott]) があしながおじさんことジョン・スミス (John Smith) 宛に綴る手紙の中で、その小説『宝島 (Treasure Island)』について言及しているのである。
しかも下に掲載する様な、作者ジーン・ウェブスター (Jean Webster) すなわち主人公ジルーシャ・アボット [後にジュディ・アボット] {Jerusha Abbott [Judy Abbott]) のイラストもあわせて、だ。

images
小説『宝島 (Treasure Island)』の象徴として、海賊旗 (Jolly Roger) を思わせるこのイラストを掲載した点を考えるだけでも、作者ジーン・ウェブスター (Jean Webster) すなわち主人公ジルーシャ・アボット [後にジュディ・アボット] (Jerusha Abbott [Judy Abbott]) がその小説のどこに魅了されたのかが、立ち所に解るだろう [上掲画像はこちらから]。

言及といっても、日本語にすれば僅か数行、100字にも満たないものだ。
物語の中の一節と思わしき部分を抜き出して、最近読んだ印象に残った書物として、興奮気味の口調で語っている。
それだけの事である。
その後に語られる物語へとは、一切、波及しない。

でも、ぼくにとっては、それで充分であった様な気がする。作者ジーン・ウェブスター (Jean Webster) すなわち主人公ジルーシャ・アボット [後にジュディ・アボット] Jerusha Abbott [Judy Abbott]) との距離がそこで一挙に縮まった様に思えるのだ。
何故ならば、そこで抜き書きしている部分、そこは謎の地図を基に航海に乗り出した一団の、その船内の光景、と謂うよりも、大海原に乗り出した興奮だけがそこにあるからだ。

小説『宝島 (Treasure Island)』に感動する作者ジーン・ウェブスター (Jean Webster) すなわち主人公ジルーシャ・アボット [後にジュディ・アボット] Jerusha Abbott [Judy Abbott]) の感興に、ぼくが共鳴する。それは、彼女 [達] に潜む少年性と共通のモノがぼくにもある、そう思えたのかもしれない。

ぼくにとっての小説『宝島 (Treasure Island)』とはつまり、財宝探しの物語ではなくて、航海の物語である。

「たからじま」と謂う語句を聴いて最初に脳裏に浮かぶのは、林檎樽 (Apple Barrel) の中に潜むその物語の主人公ジム・ホーキンズ (Jim Hawkins) の姿である。彼はそこで、ある企みを如実に知ってしまうのだ。
きっと、小学2年生よりももっと幼い時に、その物語を知ったのだろう。油彩の様な濃厚な色彩でもって、林檎樽 (Apple Barrel) の外で交わされている密会の様相が、いまでもありありと浮かぶ。つまり、ぼくの記憶にあるのは絵本かなにかなのだろう。

だけれども、そんなつよい記憶が遺っているのにも関わらずに、ぼくが「たからじま」ということばに求める映像は、違うのだ。
突き抜ける様な青空のもと、帆柱をのぼりつめたひとりの少年が、遥か彼方の海をみすえている。これも油彩である様に思われる。
それは自宅にあった、児童向けの百科事典のなかの一葉なのである。

従って、マンガ『新宝島 (New Treasure Island)』 [作:酒井七馬 (Shichima Sakai) 画:手塚治虫 (Tezuka Osamu) 1947年発表] の表紙にある様な、目指すべき財宝と遭遇した光景が思い描かれる事は決してないのだ。目的の達成ではなくて、そこへと向かう過程、それが極めて重要なのである。

そんな記憶の積み重ねが、後年にみたアニメ番組『宝島 (Treasure Island)』 [出崎統 (1978~1979日本テレビ系列放映] を、ぼくが傑作であると謂う理由のひとつなのだろう [このアニメ作品に関しては、いつかどこかでかきます]。

次回は「」。
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