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2018.07.03.08.45

にゅーるんべるぐでささやいて

1982年に発売された、その4曲入り12インチ・シングルの裏ジャケット、そこに掲載されたライナー・ノートの文末に山名昇 (Noboru Yamana) はこう書いている。
「さりげなく、待ちたまえ (Wait In Casual)」
結局のところ、ぼくがルースターズ (The Roosters, or The Roostarz) を聴き続けていた理由は、その言葉に騙されたからである。

騙されたと綴ると語弊はある。もし仮にぼくが山名昇 (Noboru Yamana) 自身だとしたら、当然の様には怒るところだ。
だが、その短い文章の中で綴られている事柄の中で、読むべきところはそこだけなのだから、ある意味で仕方がない事なのだ。

なんだか、かえってその文章を貶めている様な風情になってしまっている。

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ルースターズ (The Roosters, or The Roostarz) というバンドの歴史のなかで、このシングル『ニュールンベルグでささやいて (Whisper In Nurnberg)』 [1982年発表] が、どういう位置を締めるのか、答えはたったひとつの筈なのに、はたしてそれで誰しもが納得するのかと謂うと、酷く自信はないのだ。
そこに収められている4曲は、それまでのルースターズ (The Roosters, or The Roostarz) のどれとも異なる風貌をしていて、しかも、それ以降のルースターズ (The Roosters, or The Roostarz) のどれとも似ても似つかない。
では、バンドの結節点なのかと自問すればそれに相応しいのはその次に発表される12インチ・シングル『シー・エム・シー (C. M. C)』 [1983年発表] に違いないのだ。

比喩として成立するか否かは解らないけれども、ルースターズ (The Roosters, or The Roostarz) と謂うバンドの歴史は、常に猫を噛み続けなければならなかった鼠の生い立ちの様なモノなのだ。しかもその鼠は、噛んだその結果に常に怯えきっているのだ。

では、その鼠が初めて猫に挑みかかったのは、一体いつなのだろう。
その時季の評価が異なればきっと、このバンドの歴史やバンドそのものへの認識を異なるモノとなるのに違いない。

ファースト・アルバム『ルースターズ (The Roosters)』 [1980年発表] なのか、それとも初代ヴォーカリスト大江慎也 (Shinya Ohe) が去ってからの最初のアルバム『ネオン・ボーイ (Neon Boy)』 [1985年発表] なのか、それともそれとも。

ぼく自身は12インチ・シングル『シー・エム・シー (C. M. C)』を選ぶだろう。
どこまでもどこまでも追い詰められたその結果、そこに佇んでえへらえへらと微笑んでいるからだ。
ある意味でそれは開き直りであって、しかも、開き直ると謂う選択肢をそのバンドが手に入れたからなのだ。
徒手空拳と謂う手法をそこで学んだのであり、それはその作品以降の彼等の、大事な技法のひとつとなっていく。

だからこそ、ぼくはその前作である『ニュールンベルグでささやいて (Whisper In Nurnberg)』が堪らなく愛おしいのだ。
突き詰める事、張り詰める事、攻撃的である事、鋭角的である事。そして若くある事。
そんな事が許されるのは、バンドが絶体絶命の境地にあるからだ。必死で死に物狂いになってようやくに次の一手がみえるそんな場所だ。
そこで、ただただ、無い物ねだりばかりをして、足掻きに足掻いてばかりいる結果、ようやくの事に漕ぎ着けて手に入れた自身の新たな語法を出し惜しみもなく、曝け出しているのである。

しかも、その成果は誰の眼からみたモノであっても、バンド自身からみたモノであっても、志なかばのモノとして映った筈だ。
きっともっとかっこよくなるよ。
きっともっとすごくなるよ。
逆に謂えば、そう信じ込む事を許す作品でもあるのだ。

それ故にこそ、ぼくは山名昇 (Noboru Yamana) にそそのかされる様なそぶりで、次なる高みへと至るバンドを待っていた。
そしてその作品以降の作品を聴くたびに、ぼくは困惑し翻弄されると同時に、彼等にとっての正念場に遭遇するときを待っていたのだ。

残念ながら『シー・エム・シー (C. M. C)』はそれをぼくにみせてはくれなかった。ぼくの期待やら願望とやらを裏切ったその結果だけがそこにある。
そしてその作品以降、絶えずぼくは裏切り続けられる事になる。ぼくにとってのルースターズ (The Roosters, or The Roostarz) はそんな裏切りの歴史でもある。

ぼくを騙したのは山名昇 (Noboru Yamana) ではない。彼はそのお先棒を担いだだけだ。
主犯を指摘するまでもない。
真犯人はあいつなのだ。

次回は「」。
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