FC2ブログ

2018.06.12.13.15

さらんどら

その映画を観終わってふと想い出したのは別の作品、映画『ピンク・フラミンゴ (Pink Flamingos)』 [ジョン・ウォーターズ (John Waters) 監督作品 1972年制作] なのである。

映画『ピンク・フラミンゴ (Pink Flamingos)』 は、知っているヒトは大変によく知っているし知らないヒトは全くもって知らない、好きなヒトはとても慈しむのだが嫌いなヒトは凄まじく毛嫌いする。一言でもって謂えば、観る人を選ぶ作品である。
何故、そんな作品の事を想い出したのであろうか。

一方を喜劇 (Comedy) と呼ぶ事が出来れば、一方を悲劇 (Tragedy) と呼ぶ事も出来る。
それぞれの作品の外形だけを眺めれば、映画『サランドラ (The Hills Have Eyes)』 ウェス・クレイヴン (Wes Craven) 監督作品 1977年制作] と映画『ピンク・フラミンゴ (Pink Flamingos)』 とには、共通するところはひとつもない。

もしあるとしたら、どちらの作品も共に、ふたつの家族の争いを描いたところと、それぞれの作品の遥か遠景に映る光景だけである。
そして、それだけをもってぼくは、恐らく、映画『サランドラ (The Hills Have Eyes)』 から映画『ピンク・フラミンゴ (Pink Flamingos)』 へと連想を繋げたのに違いない。

映画『サランドラ (The Hills Have Eyes)』 は、キャンピングカー (Recreational Vehicle) で旅するカーター家 (The Carters) のヒトビトがなんの謂れもないままに、その土地に棲むジュピター家 (The Jupiters) に襲撃され、次から次へと惨殺されていかんとする作品である。
そこだけをもってみればこの作品は映画『悪魔のいけにえ (The Texas Chain Saw Massacre)』 [トビー・フーパー (Tobe Hooper) 監督作品 1974年制作] とおなじ構造だ。その作品も、旅行中の5人の若者達の集団が、次から次へとある家族によって殺戮されていくのである。
だが映画『サランドラ (The Hills Have Eyes)』 はその名作の結構をなぞろうとはせずに、異なる方向へと向かう。かろうじて生き遺ったカーター家 (The Carters) のモノ達が反転攻勢、ジュピター家 (The Jupiters) への逆襲を開始する。
復讐譚 (Revenge Tragedy) なのである。

一方の映画『ピンク・フラミンゴ (Pink Flamingos)』 は、「世界一お下劣 (Filthiest Person Alive)」を自ら任じそれを誇りとするジョンソン家 (The Johnsons) [但し偽名 (False Name)] のヒトビトが、彼等を亡き者にし「世界一お下劣 (Filthiest Person Alive)」の栄冠を自ら抱こうとするマーブル一家 (The Marbles) に襲撃される物語である。襲撃される一方ではない。その栄冠を確固たるモノとすべく、襲撃者を猛追するのである。
但し、その争いは終始一貫して阿呆らしさや馬鹿らしさに満ちている。そして勿論、終始一貫として下品である。
だから、それを観るぼく達から漏れるのはひたすら、虚脱感に満ちた笑いだけなのである。

ここまでぼくが綴り出した概観を読み、ふたつの映画を並べて、そこに共通項を見出そうと敢えて試みれば、映画『サランドラ (The Hills Have Eyes)』 のパロディ (Parody) が映画『ピンク・フラミンゴ (Pink Flamingos)』 に想えなくもないだろう。
だが、制作年を見比べれば立ち所にして解る様に、映画『ピンク・フラミンゴ (Pink Flamingos)』 の方が先なのだ。
仮にこの視点に立脚してしまえば、映画『ピンク・フラミンゴ (Pink Flamingos)』 のパロディ (Parody) が映画『サランドラ (The Hills Have Eyes)』 と謂う事になってしまう。
そんな認識で果たして良いのであろうか。

先に映画『サランドラ (The Hills Have Eyes)』 を復讐譚 (Revenge Tragedy) とした。しかし、復讐譚 (Revenge Tragedy) と謂う語句から感じられるある種の感情や認識がすっぽりとこの作品からは抜け落ちている。
ある種の時代劇 (Jidaigeki) やある種のマカロニ・ウェスタン (Spaghetti Western) に顕れる、敵討ちや仇討とは全くもって違う。それは、物語がけっして復讐の達成を描いている訳でもない上に、その結果得られる筈の快感が観ているぼく達に決して与えられないからなのだ。しかも、復讐を成し得た人物だけが得る虚無にも似た感情さえも、なのである。

その理由は解っている。
襲われるモノであるカーター家 (The Carter) と襲うモノであるジュピター家 (The Jupiters) が、実はとてもよく似ているからだ。一見、平和そうな白人中流家庭 (The White Middle Class) のヒトビトにみえるカーター家 (The Carters) のヒトビトが、ジュピター家 (The Jupiters) のふるう暴力によって、そこにある虚飾がみるみるうちに剥がされていくのだ。むしろ、襲われる側から一転、襲う側へと変転した彼等の、その中に潜む残虐性は、もう一方の家族の中にあるモノと全く同じモノ、場合によってはそれ以上のモノにもみえてくる。例えば、既に惨殺された母親の遺骸を囮とする発想自体、並みの神経からは産まれ様もない。そこまで追い詰められたのだ、その結果なのだとも謂えるが、それこそが彼等の本性と看做す事も全くもって不可能ではない [と、同時に、ジュピター家 (The Jupiters) の中にもカーター家 (The Carters) のヒトビト同様の、家族愛もしくはそれによって与えられる絆と謂うモノさえも垣間みえてくるのだ]。
加害者であるジュピター家 (The Jupiters) に対して抱く悪意や憎悪と全く同じ感情を、作品を観るぼく達は、被害者であるカーター家 (The Carters) にも抱き得るのである。

もしかしたら、ジュピター家 (The Jupiters) のカーター家 (The Carters) への攻撃とそれを受けてのカーター家 (The Carters) からジュピター家 (The Jupiters) への逆襲とみるよりも、ふたつの家族がおなじモノを相争っている様に、ぼくにはみえているのかもしれない。まるで、「世界一お下劣 (Filthiest Person Alive)」を争う映画『ピンク・フラミンゴ (Pink Flamingos)』 の様に。

と、謂う様な事を考えているぼくには、このふたつの作品に関しては、通常の意味での喜劇 (Comedy) と悲劇 (Tragedy) とが、逆転していく様にも想えてしまうのである。

images
だから、映画『サランドラ (The Hills Have Eyes)』 の日本公開時 [1984年] にあった出来事は、どうでもよくなってしまう [興味のある方はこちら等を参照の事]。
それは、映画の内容とは全く無縁の事なのである。
と、謂いつつ、上掲画像は日本公開時のポスターなのだ。
無縁の事であるのにも関わらず、ここでも喜劇 (Comedy) と悲劇 (Tragedy) が逆転していく象徴として、なのである。

次回は「」。

附記:
上に「遥か遠景に映る光景」と綴った。殺伐として荒涼として、なにもないそこ、その映像だけを眺めていると、60年代パンク (60's Punk) やガレージロック (Garage Rock) はたまたグランジ (Grunge) と謂う音楽は産まれるべくして産まれた音楽なのだなぁと印象を新たにする。
尤も、映画『ピンク・フラミンゴ (Pink Flamingos)』 の映像に鳴り響く音楽は、50〜60年代のとってもキッチュでキャッチーなヒット曲 [それも知る人ぞ知る的な] それなのではあるが [こちらを参照の事]。
関連記事

theme : ふと感じること - genre :

i know it and take it | comments : 0 | trackbacks : 0 | pagetop

<<previous entry | <home> | next entry>>

comments for this entry

only can see the webmaster :

tackbacks for this entry

trackback url

http://tai4oyo.blog108.fc2.com/tb.php/2560-df7dbe9f

for fc2 blog users

trackback url for fc2 blog users is here