2017.05.09.13.50

ざくれーたーおくちんのおおいなるかいとう

手塚治虫 (Osamu Tezuka) のいくつかの作品に、不意にとてもうけいれがたい表現や描写が登場することがある。
そしていつも、そのうけいれがたさの正体がよく解らない。
怖ろしいとか理不尽とか不合理とか不条理とか謂う形容で、それを表現しきれているとは言い難い。生理的な感覚なのかと謂うと決してそうとは断言できず、かと謂って、その逆の理知的な明晰さをもってして断罪出来るモノでもない。
ただ、初めてみたそのときは大変なショックを受けて2度とその頁を開く度胸も喪われてしまうくせに、ずっとずうっと、澱の様にこころの奥底に沈殿しているのだ。そしてその事こそが、ぼくにとって決して忘れられない作品のひとつとして、未だに遺っているのだった。

しかも、上に綴った様な感覚をどこまでぼく以外のヒトビトと共有出来るモノなのかは一切に不明なのだ。

試みにその代表的なモノ、例えば、マンガ『火の鳥 (Hi No Tori : Phoenix』の中からは次の様なモノが挙げられる。
未来編 (Chapter Of Future)』 [19671968月刊COM連載] に登場する、直立する、知的生命体としての蛞蝓 (Slug) [こちらで紹介済み]。
宇宙編 (Chapter Of Universe)』 [1969月刊COM連載] に登場する、動物相 (Fauna) と植物相 (Flora) の生態が逆転した流刑惑星 [敢えて挙げればこちらで紹介済み]。
復活編 (Chapter Of Resurrection)』 [19701971月刊COM連載] の主人公が体験する、有機物 (Organic Compound) と無機物 (Inorganic Compound) とを逆転して認知してしまう感覚 [こちらで紹介済み]。

こうして文章化してしまうとたいしたモノではない様に思える。
サイエンス・フィクション (Science Fiction) の歴史を繙けば、小説『宇宙戦争 (The War Of The Worlds)』 [H・G・ウェルズ (H. G. Wells) 作 1898年発表] に描かれる最初の地球外からの侵略者は、ある軟体動物 (Mollusca) を想像させる様な形相だ。以来、そのジャンルでは人類 (Human) ~類人猿 (Simian) ~哺乳類 (Mammalia) ~脊椎動物 (Vertebrata) から、如何にかけ離れた存在であるかを争う様な形で、地球外生物の形態は想像の域をどこまでも飛翔してきた。彼等を指示する語句、ベム (Bem) が複眼をもった怪物 (Bug Eyed Monster) の意を持つ事から考えれば、『未来編 (Chapter Of Future)』の蛞蝓 (Slug) は、常識の掌の上に留まっているのにすぎない。
にも関わらずに、その作品の文脈で読んでいくと、とても耐えられない様な異形を誇示している様に思えるから、とっても不思議なのだ。

手塚治虫 (Osamu Tezuka) の短編連作マンガ『ザ・クレーター (The Crater)』 [[19691970週刊少年チャンピオン連載] の第15話『オクチンの大いなる怪盗 (Okuchin's Great Mysterious Thief)』 [1970年発表] にも、そんな描写が登場する。

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特殊な眼鏡をかけるとそれはみえる。臀部に生えたうすぎたくもみっともない嚢胞 (Cyst) で、一見、巨大な糞便の様にも思える。それをひきずる人間の姿は、無様であり不器用でもある。しかしその実は、みてくれの悪いそこには、その人物の未来が入っているのだ [画像はこちらから]。
物語は、オクチンこと奥野隆一 (Ryuichi Okuno aka Okuchin) の嚢胞 (Cyst) を、世界で最も幸運な人物のそれとすげかえて、彼に幸運な生涯をもたらそうと企てる事になる。

物語そのモノの結論なり結着は決して独創的なモノでも画期的なモノでもない。寧ろ、平凡な人生論がみすかされる様な代物だ。
それに第一、物語の底辺にあるタイム・トラベル (Time Travel) の設定を前提にすれば、矛盾も破綻もみえてしまう。つまりタイム・パラドックス (Time Paradox) がそこには如実にあって、しかもそれに関してなんの解決も打開策も提示していない。
御都合主義 (Opportunism) と謂う言葉を思い出せば、それがそのまま、まかり通ってしまっている様な作品だ。

だけれども、未来と謂うモノをそんな嚢胞 (Cyst) にくるんでしまったところが、この作品の最大の魅力なのだった。
それぞれの人間の未来は既に決定済みのモノである、と謂う発想はそんなに真新しくもないし、斬新なモノでもない。実際はむしろ、その逆だ。
指摘すべきは、そんなことではない。
未来を、だらしもなくおおきなふくろのなかにしまいこんで、ずるずると蠢き廻る、それこそが人間の一生であると思わしめる、絶望的な描写こそが、画期的なのだ。

そして、そんな絶望が手塚治虫 (Osamu Tezuka) のこころの奥底にあると知るのが、この作品本来の怖さだ。

次回は「」。

附記:
この作品には、ジャクリーヌ・オナシス (Jacqueline Kennedy Onassis) が登場する。掲載誌である『週刊少年チャンピオン (Weekly Shonen Champion)』と、その読者層を考慮すれば、その人物の登場はどれだけ効果があったのかと謂うと、疑問が生じる余地がないわけではない。
だが少なくとも、作品発表当時の、その人物のひととなりや境涯を知らなければ、作品として成立する事が叶わない様なかたちで、彼女は作品に登場する。
ぼく個人は、作品発表時に、リアルタイムでこの作品の掲載誌で読んだ記憶がある。小学校の低学年だ。
ではそのぼくが、ジャクリーヌ・オナシス (Jacqueline Kennedy Onassis) をどう認識していたかと謂うと、非常にあやふやだ。
ただ、彼女が億万長者と結婚した人物であると謂う事と、その彼女が常にスキャンダラスな話題の提供者としてパパラッチ (Paparazzi) 達の格好の標的となっていると謂う事は、何故か、知っていた。曖昧な記憶だけれども、そんな写真の幾つかを少年マンガ雑誌のグラビア頁でみた記憶はある。
彼女が暗殺されたジョン・F・ケネディ (John F. Kennedy) 米大統領夫人であった事は当時、一向に知らなかったが、彼に続くロバート・ケネディ (Robert F. Kennedy) の暗殺と、チャパキディック事件 (Chappaquiddick Incident) によるエドワード・ケネディ (Ted Kennedy) の失脚は、そんなグラビア頁で読んだ覚えもあるのだ。
それはマンガ『オクチンの大いなる怪盗 (Okuchin's Great Mysterious Thief)』が発表される僅か1〜2年前、19681969年の事なのだ。
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