2017.03.14.12.53

おきしじぇんですとろいやー

映画『ゴジラ (Godzilla)』 [本多猪四郎 (Ishiro Honda)監督作品 1954年制作] にはオキシジェン・デストロイヤー (Oxygen Destroyer) と謂う架空の超兵器が登場する。
何故ならば、ゴジラ (Godzilla) はその当時の最新兵器である"核 (The Nuclear)"にも動じない生物として登場したからだ。

サイエンス・フィクション (Science Fiction) と謂う文脈に於いて、架空の生物ないしは架空の敵、さもなければそれが用いる架空の兵器を打倒すると謂う物語に、それらを凌駕する生物ないし敵、さもなければ兵器を登場させ、それを用いる事によってそれらを撃退させるのは、実はあまり良い作法とは謂えない。
何故ならば、それは架空の存在であるそれらを徒らに量産させるインフレーション (Inflation) を引き起こす事にもなりかねないばかりか、行き着くところ、サイエンス・フィクション (Science Fiction) と謂う文脈から遥かに遠い、神話 (Mythology) になってしまう可能性を孕んでいるからだ。

だから誰もがそうではない撃退方法、さもなければ物語としての解決策を必死になって編み出す。

映画『大怪獣ガメラ (Gamera : The Giant Monster)』[湯浅憲明 (Noriaki Yuasa) 監督作品 1965年制作] でガメラ (Gamera) を宇宙空間へと追放したのはそのひとつであるし、映画『モスラ (Mothra)』 [本多猪四郎 (Ishiro Honda)監督作品 1961年制作] や映画『大巨獣ガッパ (Gappa : The Triphibian Monster)』 [野口晴康 (Haruyasu Noguchi) 監督作品 1967年制作] で、モスラ (Mothra) やガッパ (Gappa) が自己の目的を遂げたと同時に出身地へと還るのも、そのひとつである。

例えば、映画『宇宙戦争 (The War Of The Worlds)』 [バイロン・ハスキン (Byron Haskin) 監督作品 1953年制作] や映画『人類SOS! (The Day Of The Triffids)』 [スティーヴ・セクリー (Steve Sekely)、フレディ・フランシス (Freddie Francis) 監督作品 1962年制作] の様に、人類にとっては殆ど無害なモノ、地球上の至る所に偏在するモノが彼等にとって、致命傷となるモノを登場させる事になる。

さもなければ、映画『キングコング (King Kong)』 [メリアン・C・クーパー (Merian C. Cooper) 、アーネスト・B・シェードザック (Ernest B. Schoedsack) 監督作品 1933年制作] の様に、当時の最新兵器がそのまま乾坤一擲の必殺兵器となる場合もないではないが、それは極めて限られた物語での事だ。映画『キングコング (King Kong)』に於いても、誰も飛行機群が絶命させたとは理解していない。

だから、人類の敵に対して、それを凌駕するモノが全くもって架空の存在である殆どの場合、そのモノの入手方法の困難さを描く事になる。あまり良い例ではないのだが、映画『宇宙大怪獣ギララ (The X From Outer Space)』 [二本松嘉瑞 (Kazui Nihonmatsu) 監督作品 1967年制作] をそのひとつとして挙げてもよい。

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だが映画『ゴジラ (Godzilla)』に於けるそれ、オキシジェン・デストロイヤー (Oxygen Destroyer) は既にある。ゴジラ (Godzilla) がその物語に登場する以前に、だ。この物語の、幾多もある類似の物語の差異はそこだ。
[上掲画像 [こちらから] は、芹沢大助博士 (Dr. Daisuke Serizawa) [演:平田昭彦 (Akihiko Hirata)] が山根恵美子 (Emiko Yamane) [演:河内桃子 (Momoko Kochi)] にオキシジェン・デストロイヤー (Oxygen Destroyer) を披露するシーン。ぼく達もここでまざまざとその脅威をみせつけられる。]


物語は、オキシジェン・デストロイヤー (Oxygen Destroyer) の開発者である芹沢大助博士 (Dr. Daisuke Serizawa) [演:平田昭彦 (Akihiko Hirata)] の葛藤、そして良心を描く事におおくを割いているのだ。
それはそのまま、"核 (The Nuclear)"を開発しそれを兵器として起用した多くのモノ達へのルサンチマン (Ressentiment) であるかの様だ。

次回は「」。

附記:
ゴジラ映画 (Godzilla Film Series) は数々創られてきたがそのどの作品も第1作『ゴジラ (Godzilla)』の続編と謂う位置付けだ。新たなシリーズが起こったとしても、既発の過去のシリーズで語られてきたゴジラ (Godzilla) の物語の存在を否定はするが、第1作で語られてきた事件は既知のモノとして描かれている。
ゴジラ (Godzilla) を絶命させる事は、かつてオキシジェン・デストロイヤー (Oxygen Destroyer) が成し得た。しかし、それは今や喪われ、その製法も開発方法も一切不明であると謂う絶望 [続編の多くでは決して語られる事はない] が、暗黙の了解としてあるのかもしれない。それ故のゴジラ (Godzilla) の脅威だ。
もしかするとそれは恐らく、ゴジラ (Godzilla) は不死さもなければそれに近い存在であって欲しいと謂う願望があるのかもしれない。
だけれども、次から次へと幾つも幾つも続編は創られてきたのならば、そうではない続編があってもいいのではないだろうか。
第1作『ゴジラ (Godzilla)』でゴジラ (Godzilla) が絶命した海域、芹沢博士が殉職した海域と謂ってもいい、そこはその後どうなったのか。そこにあった一切の生態系がその時、喪われてしまったのだ。その恐怖のその後を、どこかで誰かが引き継いで語ってもいいのではないだろうか。敢えて謂えば映画『アンドロメダ… (The Andromeda Strain)』 [ロバート・ワイズ (Robert Wise) 監督作品 1971年制作] の、海域版の様な話だ。尤も、ぼくとしては、そこで散布されたオキシジェン・デストロイヤー (Oxygen Destroyer) そのものが人類絶滅の端緒となる様な物語でもいいのだ。そう、幾らでも、好きなだけ、物語を紡ぎ出す事は可能なのである。
それとは逆に勿論、すらっ惚けて第11作『ゴジラ対へドラ (Godzilla Vs. Hedorah)』 [坂野義光 (Yoshimitsu Banno) 監督作品 1971年制作] や第22作『ゴジラVSデストロイア (Godzilla Vs. Destoroyah)』 [大河原孝夫 (Takao Okawa) 監督作品 1995年制作] をそれだと指摘するのは簡単だ。
だけれども、第17作『ゴジラVSビオランテ (Godzilla Vs. Biollante)』 [大森一樹 (Kazuki Omori) 監督作品 1971年制作] 冒頭での、福田純 (Jun Fukuda) へのオマージュ (Hommage) であるかの様な、ゴジラ細胞 (Godzilla Cells) を巡る争奪戦と謂う発想があるのならば、あの海域の海水からオキシジェン・デストロイヤー (Oxygen Destroyer) の試薬を生成する様な、発想が産まれても不思議ではない筈なのだ。
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