2017.01.03.11.37

ふじょうりにっき

不条理 (Absurdism) と謂う語句も日記 (Diary) と謂う語句もさして特殊な用語ではない筈だ。
しかも、日記 (Diary) と謂う表現手段は、あらかじめ公開を前提としたモノでない限り [否、仮令、公開が前提の作品であったとしても]、第三者である読者の視点には不条理 (Absurdism) 極まりない事象が縷々、綴られている場合が多い。例えば、自身の性交を逐一綴った小林一茶 (Kobayashi Issa) の日記 (Diary) は、今のぼく達の眼にはとても奇異に感じられる。
日記 (Diary) とは本来、作者から[地理的、時間的、心情的に] 遠く離れた読者達にとっては、不条理 (Absurdism) な表現なのである。
つまり日記 (Diary) とは不条理 (Absurdism) を別の表現で言い顕わしたモノと看做しても差し支えないかもしれない。
しかしながら、そのふたつの語句をふたつ並べて検索すると、たったひとつの創作物しか登場しない。
たったひとつの創作物とは、吾妻ひでお (Hideo Azuma) のマンガ『不条理日記 (Fujouri Nikki : An Absurd Diary)』 [19781979別冊奇想天外劇画アリス等連載] である。

この作品をたったひとつの語句で表現するのならば、それは" (Swamp)"だ。
勿論、地形上に顕れるそれではない。
所謂インターネット・スラング (Internet Slang) で謂うところの" (Swamp)"、趣味や興味が嵩じてある対象に深く没入している状態、もしくはその対象物そのものだ。
その" (Swamp)"がギャグ・マンガ (Gag Comic) と謂う表現方法で描写されているのが、この作品なのである。

だから、作品を構成するコマのひとつひとつ、そこで語られている挿話のひとつひとつ、登場人物や登場物体のひとつひとつ、発せられる吹き出しのひとつひとつ、そのいずれもが読者を" (Swamp)"に引き込もうという意思の顕れに満ちている。
単純に謂って仕舞えば、その作品に登場するディテール総てに、元ネタ (Source Of Parody) が存在し、その元ネタ (Source Of Parody) がこの作品を" (Swamp)"とさせる元凶であるのだ。

だからと謂って恐れる事はなにもない。
元ネタ (Source Of Parody) を知らなければ、この作品が理解出来ないと謂うモノでもないのだ。
ひとつはギャグ・マンガ (Gag Comic) と謂う手法。
ひとつはその作品の主人公すなわち作者本人が、それらの元ネタ (Source Of Parody) によって翻弄されている事。
読者はただ、理解不能な状況 [すなわち不条理 (Absurdism) な状況] にふりまわされている主人公を笑って愉しめばよいのだ。
その為に、元ネタ (Source Of Parody) の出自が必須であると謂う事は殆どない。元ネタ (Source Of Parody) を知らなければ主人公同様に翻弄されると謂う半ば自虐的な笑い、元ネタ (Source Of Parody) を知っていれば主人公を客観視しての第三者的な笑い、もしかしたら、知的優位に立ってのスノビッシュな笑いになるのかもしれない。

そして、もうひとつ。
この作品自体が" (Swamp)"であると謂う事だ。
この作品に接してしまった読者は、既にその元ネタ (Source Of Parody) を体験済みであるかもしれないし、仮令そうではなくとも、遅かれ早かれその元ネタ (Source Of Parody) に遭遇してしまう筈なのだ。
この作品は入門編としてもガイドブックとしても機能しない代わりに、この作品を読むべき読者は既に、この作品自身によって選ばれてしまっているのだ。
" (Swamp)"とはそういうモノだ。

書店に立ち寄り、ハヤカワ文庫SF (Hayakawa Bunko SF) や創元SF文庫 (Sogen SF Bunko) のコーナーに向かい、そこに並ぶ背表紙を物色すれば、きっと幾つかの元ネタ (Source Of Parody) は立ち所に判明するだろう。
だがその逆に、いつまでたっても謎のままである元ネタ (Source Of Parody) も存在する [だがそれが作者自身の完全な創作ではない事は、読者には自ずと知れてしまっているのだ]。

読了後、不明のままであった元ネタ (Source Of Parody) が、数年後にこの作品を読み返すと直ちに判明してしまう事もざらである一方で、かつてネタバレていた事柄が今となっては皆目検討もつかない場合もある。勿論、それは忘却してしまったからではない。それ程、あやふやで不確かなかたちで、しかもそれをそのままに放置しておく事が許されるかたちで、それらは作品に登場しているからである。

作品発表時のトピカルな話題を盛り込んだ部分があるのかもしれない。そしてそれは今や風雪化して、誰にも理解不能なモノなのかもしれない。
もしくは、極めて個人的な楽屋落ち的なモノもあるのかもしれない。そしてそれは今の読者は勿論、当時の読者にも理解不能なモノなのかもしれない。
それゆえにこそ、面白いのだ。なんだか解らないからこそ、面白いのだ。
元ネタ (Source Of Parody) が元ネタ (Source Of Parody) としての機能を喪失し、作者が希求している不条理 (Absurdism) な笑いをそこで、初めて獲得出来ているのかもしれないのである。

それでも、この作品から笑いをみいだせないヒト、もしくは、元ネタ (Source Of Parody) が解らないから理解出来ないと謂うヒトは、この作品が招き寄せている" (Swamp)"には一切、無縁の人物なのかもしれない。
そんなヒトビトの人生には「えすえふ (Sci-Fi)」は、無用の長物 (White Elephant) なのだろう。

個人的な事をひとつ書く。

images
不条理日記 回転篇 (Fujouri Nikki Kaiten-hen : An Absurd Diary Spinning)』に「東武西武東武西武 (Tobu Seibu Tobu Seibu)」と謂う描写が登場する。
これは池袋駅 (Ikebukuro Station) の事である。池袋駅 (Ikebukuro Station) にはそのJR東口 (JR East) に西武池袋本店 (Seibu Ikebukuro) があり、反対側のJR西口 (JR West) には東武百貨店池袋店 (Tobu Ikebukuro) がある。その『不条理日記 (Fujouri Nikki : An Absurd Diary)』ならでは描写だ。
上京して初めて実際にその場を体験し、ぼくは酷く感動したのだった [上掲画像はこちらから]。

次回は「」。
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