2016.09.20.11.10

らんどせるしょって

件名は童謡『仲良し小道 (Nakayoshi Komichi)』から。
三苫やすし (Yasushi MItoma) が1939年に童謡集『ズブヌレ雀 (Zubunure Suzume)』で発表した詩に河村光陽 (Kouyou Kawamura) が作曲、その長女である河村順子 (Junko Kawamura) の歌唱でキング・レコード (King Records) から発売された。

と、謂う様な事実は、これから先に綴る事とはあまり関係はない。
個人的な昔話を延々と綴るその、落語 (Rakugo) で謂うところの (Makura : Pillow) として登場してもらっただけなのである。
だから、その童謡でのもうひとりの主人公であるみよちゃん (Miyo-chan) も、どこにも登場しない。

ぼくが、保育園 (Preschool) の年長組だったある日の事である。
両親に連れられてランドセル (Randoseru) を買いに行った。

ぼくの記憶が正しければ、背中に背負うモノはこれでみっつめだ。
ひとつは、今通っている保育園 (Preschool) の行き来に毎日背負うモノ。
もうひとつはリュックサック (Rucksack) で、これは保育園 (Preschool) で出かけるハイキングや、休日に家族で外出する際に登場する。

images
ちなみに、前者はその保育園児 (Preschool Pupil) 共通のモノだから、選択の余地はない。その保育園 (Preschool) に通うと決まった際に、有無を謂わさずに、充てがわれた。後者は、親に連れられて行った鞄店で、ぼく自身が決めた。確か、マグマ大使 (Magma) の絵柄だったと思う。当時放映されていたTV番組『マグマ大使 (Ambassador Magma)』[19661967フジテレビ系列放映] のではなくて、手塚治虫 (Osamu Tezuka) のマンガ作品『マグマ大使 (Ambassador Magma)』 [19651966少年画報連載] の方だ。彼の他に、ガム (Gum) や熔解怪獣ドロックス (Dorox) が登場していた筈だ。
[上掲画像はこちらから。手塚治虫 (Osamu Tezuka) 画の熔解怪獣ドロックス (Dorox) の画像は発見出来なかったから、TV番組ヴァージョンを選んでみた。]

ランドセル (Randoseru) を買いに行ったその日は、勝手が違った。
イニシアティヴが、それを6年間使う筈のぼくには全くない。親がその息子に充てがう商品を選ぶ場合、そんな不自由は往々にしてあるモノだが、それ以上に不自由なのだ。

第一に選択の余地はあまりに少ない。
色は、赤と黒しかなく、しかも、ぼくの場合は自働的に後者になってしまう。現在ではランドセル (Randoseru) も随分カラフルになったが、当時は、性別によって、その色彩が決定されてしまうのだ。

そして、先ず親が選ぶ。
しかも、イニシアティヴは、父親にも母親にもない様だ。店員と彼等との [ぼくからみれば] 退屈なやりとりを傍で聴いている限り、店員の方に分がある様だ。
本来ならば、最も大きくモノを謂う筈の財布も、その限りではない。何せ、向こう6年間を通じて毎日使うモノで、なおかつ、壊れたからと謂って補充は効かないのだ。
「高学年になって新品のランドセル (Randoseru) 背負わせる訳にもいかないですしね」
なのだから。

そうこうして、幾つかの商品が、ぼくの目の前に差し出される。この中から、選んでね、と謂う訳なのだ。
だからと謂って、その差異を見極めるのは至難の技だ。

リュックサック (Rucksack) にマグマ大使の絵柄を選んだのは、水筒がウルトラマン (Ultraman) だったからだ。
ハンカチはアニメ番組『悟空の大冒険 (Goku No Daiboken)』[原作:手塚治虫 (Osamu Tezuka) 1967フジテレビ系列放映] で、これは入園した数日後、膝を擦りむいて出血し、その結果、血染めのハンカチになってしまう。

ランドセル (Randoseru) にはそんな解りやすい主張はない。色は総て黒で、外観は殆ど同じ。
明確な主張と謂えば、留め金の部分の方式 [磁石式や否や] とデザイン。それとその中身の区分けられた層の違い。
その金額の違いから、両親は本革 (Real Leather) か人口皮革 (Clarino) かを悩んでいたが、選ぶぼくにとってそれは大した問題ではない。

結局、選ばれたランドセル (Randoseru) 数個を、下から仰いだ位置がみえる様に横一列に並ばせて、その中で一番斬新だと思うモノにしたのだと思う。結局、留め金のデザインで決めたのだ。
少なくともその結果、同級生の中に、同じランドセル (Randoseru) はなかったから、ぼくの中では正解なのだ。

帰宅して、近隣に棲む近親者にお披露目をしたがその際に、誰もが口を揃えて謂うのが次の台詞だ。
ランドセル (Randoseru) に背負わされている」
確かに、自身を鏡に映してみくらべれば、自分自身でもそう思う。

同じサイズのモノを背負っている筈なのに、近所の小学生達のそれは随分とちいさくみえる。
もしかして、年を経る毎に、これは縮小してしまうのではないだろうか。そんな気がしなくもない。

そんな風にして選んだランドセル (Randoseru) も、学校の規則で毎日背負う事は変わりないが、本来の役目は徐々に追われてしまう。
その日に学校で使う勉強道具が総てその中に収まる訳もなく、体操着 (Training Wear) や水着 (Sukumizu) や給食着 (School Meal Wear) は勿論の事、メロディオン (Melodion) [これはピアニカ (Pianica) でも同じ事だ] や水彩絵の具 (Water Colour Painting) を収めた鞄も、いずれかの掌が担わなければならない。児童の安全性を考慮して、通学時に両の掌に自由を与える筈のランドセル (Randoseru) なのに、その任を全う出来ていない。収納可能なのは精々、リコーダー (Recorder) や30cmの定規物差し (30cm Ruler) 程度なのだ。

ぼく達には他県とは違って横断バッグ (Crossing Now Bag) と謂うモノが充てがわれてはいたけれども、それだけではとても総てを収納出来ない。
だから、キティちゃん (Hello Kitty) のバッグや、アディダス (Adidas) 乃至プーマ (Puma) のバッグは、誰にとっても重要度を増してくる。
そしてそれ故に、ランドセル (Randoseru) は、学年が上がる毎に、ちいさくちいさくなっていくのだ。

次回は「」。

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