2016.08.23.10.19

うきくさとうきくさものがたり

一方は戦前のモノクロのサイレント映画で、他方は戦後のカラー作品である。
一方は、同じ俳優が同名の主役を演じた連作のひとつとされているが、他方にはそこで主役を演じた俳優が主演した作品はひとつしかない。演じた役の名前も違う。
両方の作品に出演した俳優は、たったの一人、三井秀男こと三井弘次 (Koji Mitsui aka Hideo Mitsui) で、配給した映画会社も違う。
共通しているのは作品に携わった監督と脚本の池田忠雄 (Tadao Ikeda) だけで、映画史的には、前者のリメイク作品が後者である。

小津安二郎 (Yasujiro Ozu) のふたつの監督作品、映画『浮草物語 (A Story Of Floating Weeds)』 [松竹キネマ (Shochiku) 配給] と映画『浮草 (Floating Weeds)』[大映 (Daiei Film) 配給] との、作品に関する情報を書き綴れば、上の様にいくらでも同位と差異を書き出す事が出来る。
ふたつの作品を比べれば、いくらでも論じる事が可能であり、しかも、いくらでも論じなければならない視点がそこにあると解ってはいるが、いつも齟齬を来たしてしまう。

物語は旅芸人の一座と、その座長をめぐる、男女の物語や親子の物語が錯綜し、そこに登場人物たちの様々な感情の機微が浮き上がる。大雑把な把握をしてしまえばそこに、今では喪われてしまった日本人の感性を見出す事が可能で、如何にも小津安二郎 (Yasujiro Ozu) らしい作品と謂えるのかもしれない。
だけれども、1934年の作品である映画『浮草物語 (A Story Of Floating Weeds)』は、当時の現代劇と看做す事は容易ではあるけれども、1959年の作品である映画『浮草 (Floating Weeds)』は、現代劇と謂うよりも、もはや、時代劇と呼ぶのが似つかわしい様な物語だ。
但し、それはその当時に於いて既に、旅芸人の一座と謂う娯楽が衰退の一途を辿っているから、と謂うだけではない。

映画『浮草物語 (A Story Of Floating Weeds)』では典型的な小津安二郎 (Yasujiro Ozu) ならではのカット割りが堪能出来、既にこの頃からぼく達の誰でもが任じている小津安二郎 (Yasujiro Ozu) 作品として愉しむ事が出来る。映画の主題もそれに相応しいモノだ。
だけれども映画『浮草 (Floating Weeds)』では、全く同じ物語を語りながら、しかも、一部では全く同じカット割りを行いながらも、描きだされている物語のドラマツルギーには、非常に激しい感情が激白されている様に思えてしまう。
逆に謂えば、あまりにも小津安二郎 (Yasujiro Ozu) らしくない映画なのだ。彼ならばの映像美が追求されればされる程に、小津安二郎 (Yasujiro Ozu) 的ではない物語がそこに浮かび上がって来る様に、ぼくには思える。

その主因を時に、主演したふたりの男優に求めたくもなる。
映画『浮草物語 (A Story Of Floating Weeds)』の主役である喜八 (Kihachi) を演じたのは坂本武 (Takeshi Sakamoto)、映画『浮草 (Floating Weeds)』の主役である嵐駒十郎 (Komajuro Arashi) を演じたのは2代目中村鴈治郎 (Ganjiro Nakamura II) である。
前者は、小津安二郎 (Yasujiro Ozu) 作品で何度も喜八 (Kihachi) と謂う主人公を演じた俳優で、逆に、喜八 (Kihachi) である彼が主演した作品は、喜八 (Kihachi) ものと呼ばれ、全4作品あるうちの第2作が映画『浮草物語 (A Story Of Floating Weeds)』だ。4作品の喜八 (Kihachi) ものの主人公は単に名前だけが共通であるだけで、設定は違う。違うけれども、そこに共通する心情や内面を読み取れる事が出来る。彼の、世の中の規範から逸脱しつつある境遇の所以はそこに原因がある様で、観る方法によってはそこに、渥美清 (Kiyoshi Atsumi) が演じた車寅次郎 (Torajiro Kuruma) を発見する事も可能だろう。
後者は、小津安二郎 (Yasujiro Ozu) 作品ではこの他には映画『小早川家の秋 (The End Of Summer)』 [1961年制作 東宝 (Toho) 配給] にしか出演していない。だがそこで彼が演じた小早川万兵衛 (Kohayagawa Manbei) は、映画『浮草 (Floating Weeds)』の嵐駒十郎 (Komajuro Arashi) に通じるモノがある。映画『小早川家の秋 (The End Of Summer)』はその終幕に於ける小早川万兵衛 (Kohayagawa Manbei) の死が濃厚に支配する物語ではあるが、彼の生前の奔放さは、映画『浮草 (Floating Weeds)』での嵐駒十郎 (Komajuro Arashi) のデラシネ (Deracine) そのものである。もしかしたら、2代目中村鴈治郎 (Ganjiro Nakamura II) 主演の小津安二郎 (Yasujiro Ozu) 作品の連作がその後、いくつも創れたのではないか、そんな気がしないでもない。
しかしながら、2代目中村鴈治郎 (Ganjiro Nakamura II) が演じたふたつの役は、坂本武 (Takeshi Sakamoto) が演じた喜八 (Kihachi) とは全く無縁な存在の様に思える。

劇中、嵐駒十郎 (Komajuro Arashi) [演:2代目中村鴈治郎] の今のおんながすみ子 (Sumiko) [演:京マチ子 (Machiko Kyo)] であるのはさもありなんな感じがする。そして、嵐駒十郎 [演:2代目中村鴈治郎 (Ganjiro Nakamura II)] の昔のおんながお芳 (Oyoshi) [演:杉村春子 (Haruko Sugimura)] であるのも、あり得ない話ではない。
だけれども、ここに3者が一堂に会して、嵐駒十郎 (Komajuro Arashi) [演:2代目中村鴈治郎 (Ganjiro Nakamura II)] を巡るすみ子 [演:京マチ子 (Machiko Kyo)] とお芳 [演:杉村春子 (Haruko Sugimura)] の争いと解してしまうと、妙な生々しさが生じる。
役名をとっぱらって3者を並べてみると、余計にそうだ。
2代目中村鴈治郎 (Ganjiro Nakamura II) の今のおんなが京マチ子 (Machiko Kyo) で、昔のおんなが杉村春子 (Haruko Sugimura) なのだ。
小津安二郎 (Yasujiro Ozu) 作品 [に限った話ではないけれども] に於いて、杉村春子 (Haruko Sugimura) と謂う女優にそんな女性性を見出す事が、ぼくには皆無だからかもしれないが。

残念ながら、映画『浮草物語 (A Story Of Floating Weeds)』にはそんな困惑を感じた事はない。
上の顰みに倣えば、喜八 (Kihachi) [演:坂本武 (Takeshi Sakamoto)] の今のおんながおたか (Otaka) [演:八雲理恵子 (Rieko Yagumo)] で、昔のおんながおつね Otsune, Ka-yan [演:飯田蝶子 (Choko Iida)] と謂う事にはなるのだが。
尤もこれは、それぞれの俳優の経歴や演技を知らない故なのかもしれない。

images
映画『浮草 (Floating Weeds)』で、加代 (Kayo) [演:若尾文子 (Ayako Wakao)] が本間清 (Kiyoshi Homma) [演:川口浩 (Hiroshi Kawaguchi)] 宛の恋文を投函する際 [上掲画像はこちらから] に、郵便局窓口で借りた鉛筆をひと舐めする仕草は、若尾文子 (Ayako Wakao) 発案のアドリブらしいのだけれども、この行為の意味するところを説明するのは酷く至難だ。
と、これはあくまでも余談。

次回は「」。
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