2016.08.16.10.06

ちていかいじゅう

映画『シン・ゴジラ (Godzilla Resurgence)』 [庵野秀明 (Hideaki Anno) 監督作品 2016年制作] は観ていない。
食指が動かない理由は幾つかある。
そのひとつは、その映画に登場するゴジラ (Godzilla) の身長が118.5メートルもある事だ。
牛久阿弥陀大佛 (Ushiku Daibutsu) が全高120メートル、それよりもひとまわり小さい事になる。

ゴジラ・シリーズ (The Godzilla Franchise) の第1作『ゴジラ (Godzilla)』 [本多猪四郎 (Ishiro Honda) 監督作品 1954年制作] に登場したゴジラ (Godzilla) の身長は50メートルだった。その大きさは、第15作『メカゴジラの逆襲 (Terror Of Mechagodzilla)』 [本多猪四郎 (Ishiro Honda) 監督作品 1975年制作] まで踏襲される。
復活作であり通算第16作の映画『ゴジラ (The Return Of Godzilla)』 [橋本幸治 (Koji Hashimoto) 監督作品 1984年制作] に於いて、身長80メートルのゴジラ (Godzilla) が登場する。そして平成ゴジラ・シリーズ (Godzilla Heisei Era) の第3作 [通算第18作] の映画『ゴジラ vs キングギドラ (Godzilla vs. King Ghidorah)』 [大森一樹 (Kazuki Omori) 監督作品 1991年制作] に於いて、身長100メートルとなり平成ゴジラ・シリーズ (Godzilla Heisei Era) 最終作[通算第22作] の映画『ゴジラ vs デストロイア (Godzilla vs. Destoroyah)』 [大河原孝夫 (Takao Okawara) 監督作品 1995年制作] までこの大きさだ。
それ以降、第23作『ゴジラ 2000 ミレニアム (Godzilla 2000)』 [大河原孝夫 (Takao Okawara) 監督作品 1999年制作] から第28作『ゴジラ ファイナルウォーズ (Godzilla Final Wars)』 [北村龍平 (Ryuhei Kitamura) 監督作品 2004年制作] までは、その都度、身長の設定は左右されるが、50メートルの大きさに戻る事はない。
最新作である映画『シン・ゴジラ (Godzilla Resurgence)』の前作である映画『ゴジラ ファイナルウォーズ (Godzilla Final Wars)』では再び、身長100メートルとなっている。

つまり今、公開されている映画に登場するゴジラ (Godzilla) は、これまでの作品に登場したどのゴジラ (Godzilla) よりも大きいのだ。

ゴジラ (Godzilla) の身長に関しては少なくとも、ぼくは原理主義者 (Fundamentalist) ではないから、身長50メートルのゴジラ (Godzilla) が正しいと謂うつもりは一切ない。
ただ、身長118.5メートルのゴジラ (Godzilla) が登場して描ける世界は、おそらく、ぼくの望んでいる世界とは違うのだろうなぁと謂う事なのだ。

ゴジラ (Godzilla) が巨大化のインフレーション (Inflation) に悩まされるのは、その映画のクライマックスに都市破壊があるとされているからだ。
ゴジラ (Godzilla) が大都会に顕れて、大都会にある建築物を悉く蹂躙する。その為に最も相応しい身長が設定されているのだ。しかも、最初の作品が発表されてから半世紀が経過しその過程に於いて、建築物は悉く巨大化高層化していく。破壊されるべき大都会そのものが巨大化しているのだ。それ故に、否応もなくそれに併せて、ゴジラ (Godzilla) の身長も巨大化されていくのである。

勿論、それだけではないだろう。
ゴジラ (Godzilla) は単に、恐竜 (Dinosaur) の末裔ではない。原水爆 (Atomic And Hydrogen Bomb) の恐怖のアナロジー (Analogy) でもあるだろうし、近年は9.11.や3.11.の象徴でもあるかの様な描写が込められている。
極端な話、自然災害の類推 (Analogy) も可能だろうし、ヒトによってはそこに神からの警告をみる事もあり得るだろう。

シリーズ第1作『ゴジラ (Godzilla)』に於いて、大戸島 (The Ohto Isrand) に伝わる荒ぶる神である呉爾羅 (Godzilla) の名称を冠せられたのは象徴的なのだ。しかも、その英語表記に於いてはゴッド (God) も潜ませてある。
それはこの映画シリーズに多大な影響を及ぼした怪獣映画 (Monster Movies) の始祖『キングコング (King Kong)』 [メリアン・C・クーパー (Merian C. Cooper)、アーネスト・B・シェードザック (Ernest B. Schoedsack) 監督作品 1933年制作] を踏襲したものだ。
キングコング (King Kong) はその生息地髑髏島 (Skull Island) に於いて、荒ぶる神として怖れ敬われていたのだ。だが、キングコング (King Kong) は捕縛されて大都市ニュー・ヨーク (New York City) に顕れた際には、その聖性も神性も剥奪されてしまっている。そこがゴジラ (Godzilla) との差異だ。
ゴジラ (Godzilla) は、いつまでもどこまでも聖でもあり神でもある。
そして、それがゴジラ (Godzilla) の巨大化を促している様に、ぼくには思える。

だけれども、その結果、恐怖や脅威がゴジラ (Godzilla) から奪われてしまっている様にも思える。

例えばここに、『超巨大仏を見て混乱する (Confusing To See The Colossal Buddha Statue)』と謂う牛久阿弥陀大佛 (Ushiku Daibutsu) の巨大さの体感を試みる記事がある。
遥か彼方の牛久阿弥陀大佛 (Ushiku Daibutsu) を観る光景は、いつそれが動き出しても、少なくとも、命だけは無事にすませる事が出来そうなのだ。

そう、ゴジラ (Godzilla) の巨大な体躯の一部分でも目視できれば、その時点で、何もかも投げ打って逃げて仕舞えばいい。
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。 (I Mustn't Run Away. I Mustn't Run Away. I Mustn't Run Away.)、ではない、津波てんでんこ (Escape The Tsunami! Every Man For Himself!)、だ。
身長118.5メートルの恐怖とはきっと、その様なモノなのだ。

ゴジラ (Godzilla) が海棲生物 (Marine Organism) であり、上陸後の速度が作品内で描かれている様なモノである限り、それ以外の天災 (Natural Disaster) や人災 (Man-made Disaster) よりも、避難は容易そうだ。

しかし、もしゴジラ (Godzilla) が地底怪獣 (The Monster From The Underground) であるのならば、決してそうはいかないだろう。
いつ、どこに、ゴジラ (Godzilla) が大地の底から顕れるのか。その怖れがないわけではない。

と、いう様な論旨はここではとらない。

表題に地底怪獣を宛てたのは、映画『フランケンシュタイン対地底怪獣 (Frankenstein Conquers The World)』 [本多猪四郎 (Ishiro Honda) 監督作品 1965年制作] とその続編『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ (The War Of The Gargantuas)』 [本多猪四郎 (Ishiro Honda) 監督作品 1966年制作] そしてそれと同じ設定でありながら少し傾向の異なる映画『キングコングの逆襲 (King Kong Escapes)』 [本多猪四郎 (Ishiro Honda) 監督作品 1967年制作] を念頭に置いているからだ。
その3作品に登場する怪獣 (Kaiju) 等の大きさは20メートル乃至30メートル、その大きさで描かれる特撮 (Special Effects) の描写力と怪獣 (Kaiju) 等の脅威が、ゴジラ・シリーズ (The Godzilla Franchise) とは大きくかけ離れたモノだからだ。
謂うなれば、生物としての怪獣 (Kaiju) の恐ろしさだ。

images
映画『フランケンシュタイン対地底怪獣 (Frankenstein Conquers The World)』に登場する地底怪獣バラゴン (Baragon) は、ひとつとして同じ表情をしているカットはない。
正面から観た印象と側面から観た印象がかけ離れている上に、常態であるならば、頸部側面に倒されている一対の耳殻が、威嚇の際には大きく広げられ、その対比をもってしても、表情は非常に多彩なのだ。

次回は「」。

附記 1. :
もしかすると、ジュラシック・パーク・シリーズ (Jurassic Park Franchise) に登場する恐竜 (Dinosaur) 達が、ぼくの求めている生物としての怪獣 (Kaiju) に、一番近い存在になり得るのかもしれないが、あの作品群はその域に向かう事を拒否している様にも思える。
目指しているのは寧ろ、映画『ジョーズ (Jaws)』 [スティーヴン・スピルバーグ (Steven Spielberg) 1975年制作] の様な、動物パニック映画 (Animal Attack Movies) ではないかなぁと思えるのだ。

附記 2. :
ガメラ・シリーズ (Gamera Franchise) は、ゴジラ・シリーズ (The Godzilla Franchise) よりも生物としての描写に長けてはいる。実際に、ガメラ (Gamera) は闘いに於いて、何度も何度も流血し負傷する。しかし、ガメラ (Gamera) が流血し負傷するのは他の怪獣 (Kaiju) との闘いに於いての事であって、ぼく達はその観客でしかない。
闘鶏 (Cockfight) や闘犬 (Dog Fighting) や闘牛 (Bull Wrestling) の様に、その闘いにぼく達が巻き込まれる恐れは先ずないのだ。
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