2016.06.21.10.21

みなみくんのこいびと

雑誌『ガロ (Garo)』 [19642002青林堂刊行] の連載時に読んでいたから、その単行本を手にした時は、あぁ、死んだんだなとすぐに理解した。
勿論、そこでの最終話はその時点では読んではいない。その挿話は単行本化の為の書き下ろしだったからだ。
でも、どこをどうみても、掌にのったその女の子の写真を描いた表紙は、彼女の遺影 (Photograph Of The Deceased) にしかみえないのだった。

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内田春菊 (Shungiku Uchida) のマンガ『南くんの恋人 (Minami-kun no Koibito : The Lover Of Minami-kun)』 [19851987ガロ不定期連載] はその後、何度かTV化されているけれども、それは観ていない。
続編に、マンガ『南くんは恋人 (Minami-kun wa Koibito : The Lover Is Minami-kun)』 202013ココハナ連載] はあるらしいのだけれども、それは未読だ。
だから、この作品の世界観を愛しているヒトビトにとってはとても中途半端な感想しか書けそうもない。

作品発表時、掲載誌である雑誌『ガロ (Garo)』は定期購読していたから、その作品は毎回読んでいたと思う。だけれども、月に1度、発刊されるその雑誌の毎号に、確実に掲載されていた訳ではないから、時系列に沿って物語が綴られていると謂う認識はなかった。

身長16cmの少女ちよみ (Chiyomi) と、普通の大きさの高校3年生 (Senior In High School) 南くん (Minami-kun) の、日常が延々と綴られていると謂う認識だった。
何故ならば、彼女が突然ちいさくなってしまった経緯の様な、この物語の導入部となる挿話は一切、掲載されていなかったからだ。
だから、作品が掲載されるその都度その都度、恋人のおおきさの違いから起こる悲喜こもごもと、そこから沸き起こる感情とその行き違いを、ぼくは堪能していた筈だ。

そう、普通のマンガ雑誌であって、普通の人気作家ならば、きっと、作品が発表され続けている限り [作品の人気があり続ける限り] 何年も何年も、ちよみ (Chiyomi) は身長16cmのままであり、南くん (Minami-kun) は高校3年生 (Senior In High School) のままだった筈だ。
磯野家 (The Isonos) のヒトビトや野原家 (The Noharas) のヒトビトの様に、いやいや、これでは比喩が離れすぎている。身体を縮小されて少年化されてしまった工藤新一 / 江戸川コナン (Shinichi Kudo aka Conan Edogawa) の様に、とでも謂っておこうか。

だけれども、そのマンガの掲載誌は、必ずしも商業的な運営や編集を第一義に置いていない雑誌『ガロ (Garo)』であった上に、作者が内田春菊 (Shungiku Uchida) であったが故に、現在ある様な形での作品に纏められている、いや、纏める事が可能だった様に思える。

本来ならば、雑誌『ガロ (Garo)』や内田春菊 (Shungiku Uchida) に関して綴るべきところではあるが、少し別の事を考えてみる。
いずれの事を綴るにしても、ここで処理するには重たすぎる主題だからである。

今、考えている事は、何故、少女の方がちいさくなってしまったのか、と謂う点だ。
別の謂い方をすれば、作者は何故、少女の方をちいさくしてしまったのだろう、と謂う問題だ。
逆では駄目なのか。少年の方がちいさくなる、もしくは、少年の方をちいさくすると謂う作品もしくは発想では駄目なのだろうか。
[逆におおきくなる、おおきくさせる、と謂う作品の可能性や発想もあり得るが、それは別の機会だ。]

と、謂うのは童話の、『一寸法師 (Issun-boshi : One-Inch Boy)』[御伽草子 (Otogizoshi) 所収] も『親指小僧 (Daumesdick)』 [『子供と家庭のための童話集 (Kinder- und Hausmarchen)』 [グリム兄弟 (Bruder Grimm) 編 1812年発表]] も、ちいさいのは男性なのだ。
同じ年に制作公開された、映画『縮みゆく人間 (The Incredible Shrinking Man)』[ジャック・アーノルド (Jack Arnold) 監督作品 1957年制作] でも映画『透明人間と蝿男 (Tomei Ningen to Hae Otoko : The Invisible Human And The Fly Man)』 [村山三男 (Mitsuo Murayama) 1957年制作] でも、縮小化されるのはここでも男性だ。
江戸時代 (Edo Period) の艶本や春画には、豆男 (Mameotoko : A Little Man) と謂うジャンルがあるがこれは窃視 (Peeping) の暗喩であり、その行為に耽るモノを英語 (English) では覗き屋トム (Peeping Tom) と呼ぶのは、『親指小僧 (Daumesdick)』への類推が働いているのかもしれない。英語圏 (Anglosphere) ではその物語を『親指トム (Tom Thumb)』と呼ぶのだ。
[つまり、映画『透明人間と蝿男 (Tomei Ningen to Hae Otoko : The Invisible Human And The Fly Man)』では窃視者 (Peeping Tom) の2大巨頭である透明人間 (The Invisible Human) と蝿男 (The Fly Man) =豆男 (Mameotoko : A Little Man) が対峙すると謂う趣向なのだ。]

勿論、縮小化された女性が登場しない訳ではない。
童話『親指姫 (Tommelise)』[作:ハンス・クリスチャン・アンデルセン (Hans Christian Andersen) 1835年発表] がそうだし、映画『ミクロの決死圏 (Fantastic Voyage)』[リチャード・フライシャー (Richard Fleischer) 監督作品 1966年制作] や映画『ミクロキッズ (Honey, I Shrunk The Kids)』[ジョー・ジョンストン (Joe Johnston) 監督作品 1989年制作] には縮小化された一団の構成メンバーには必ず女性もいる。
だけれども、童話『親指姫 (Tommelise)』がハンス・クリスチャン・アンデルセン (Hans Christian Andersen) の完全な創作であり、性別を置換する事が作家ならではの文学性の発揮がそこにある筈だと考えれば、『一寸法師 (Issun-boshi : One-Inch Boy)』も『親指小僧 (Daumesdick)』 も作者未詳の説話の集成に他ならない 。

男性を縮小させる物語、もしくは、縮小された男性の物語の方が、発想しやすいのであろうか。

近現代的な意味での創作と謂う行為、そこに文学性や作家性が発揮されて初めて、女性が縮小される。
作劇上、縮小化された集団の中に、性別の異なる人物がいれば、それだけでも語り得る挿話は幾重にも多様化が可能だ。

とここで断言するのは危険な気がするけれども、人間を縮小すると謂う創作物に於いて、そこで縮小化される人物の性の問題は、きちんとどこかで考えてもいい様な問題だ。

そう謂う視点でマンガ『南くんの恋人 (Minami-kun no Koibito : The Lover Of Minami-kun)』を読み直してみる [ここでは続編『南くんは恋人 (Minami-kun wa Koibito : The Lover Is Minami-kun)』の存在を忘れる様に]。

そうすると、普通の大きさの高校3年生 (Senior In High School) である南くん (Minami-kun) の抱え込んだ問題はなにかに似ている。
ちいさくなってしまったちよみ (Chiyomi) 自身が抱える問題を忘却すれば、ここで描写されているのは、ある日突然、たった一人で幼児を養育しなければならなくなった男親の姿を思い起こさせる。
いや、"養育"される側のちよみ (Chiyomi) に自我も自意識もある以上、育児 (Child‐rearing) の問題と捉えるよりも看護 (Nursing) や介護 (Care) の問題と看做した方がいいかもしれない。
それを前提に考えれば、ちよみ (Chiyomi) が死すべき存在である事は、避けられぬ事、自明の事ではあるのだ。

次回は「」。

附記 1. :
この作品は、身長16cmの少女が登場する事以外の設定は、極めて現実的だ。
この設定とそれに基づく作品世界の構築は、ファンタジー (Fantagy) の手法と謂うよりもサイエンス・フィクション (Science Fiction) の手法に近いのではないか。
寓話として読むのではなく、思考実験として読むべきモノなのかもしれない。

附記 2.:
記事冒頭の遺影 (Photograph Of The Deceased) と謂う表現に疑問を呈する方がいるかもしれないが、では何故、ちいさくなったちよみ (Chiyomi) と普通の大きさの南くん (Minami-kun) とのツー・ショットではなかったのか、とい謂う点を考慮してみればいいと思う。
しかも彼女の姿が、写真と謂う枠内に収まっていると謂う点も含めて鑑みてもらえれば、と思う。
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