2016.06.14.12.30

くわたこのみ

人呼んでブラック・クイーン (Black Queen)。
マンガ『ブラック・ジャック (Black Jack)』 [作:手塚治虫 (Tezuka Osamu) 19731978週刊少年チャンピオン連載] の、第57話『ブラック・クイーン (Black Queen)』 [19751月13日発表] と第199話『終電車 (The Last Train)』[19781月16日発表] に登場する。
外科医 (Surgeon) 桑田このみ (Konomi Kuwata) は、作者手塚治虫 (Tezuka Osamu) のスター・システム (Star System) によってみれば、ゼフィルス (Zephyrus) [マンガ『地球を呑む (Swallowing The Earth)』 [19681969ビッグコミック連載] が演じている。

桑田このみ (Konomi Kuwata) がブラック・クイーン (Black Queen) と呼ばれているのは、男まさり (Spirited Woman) [こう謂う表現は最近、批難や批判を浴びることばのひとつではあるが、作品が発表された時代を考慮すれば致し方ない] の外科手術 (Surgery) ぶりからの事である。
但しそれは、彼女の技能の高度を指摘しての事と謂うよりも、手術室 (Operating Room) に於ける冷酷無比な態度によるモノである様だ。
つまり、ここで彼女の渾名がブラック・ジャック (Black Jack) を揶揄したモノであるのは、ブラック・ジャック (Black Jack) と謂う外科医 (Surgeon) が [作品内での世界観において] 世評でどういう評価を得ているのかを前提としているモノなのである。
このマンガの、しかもその初期の作品に於いては、ブラック・ジャック (Black Jack) と謂う外科医 (Surgeon) が、自らのパブリック・イメージ (Public Image) とは如何にかけ離れた存在であるかを身をもって明かしていくと謂うドラマツルギー (Dramaturgie) を発揮する作品が多い。ブラック・クイーン (Black Queen) こと桑田このみ (Konomi Kuwata) が登場する2篇も、外形上はそんなドラマツルギー (Dramaturgie) によって支えられている。

しかも、ブラック・ジャック (Black Jack) にそのパブリック・イメージ (Public Image) とはいささか異なる内面もしくは実情が存在する様に、ブラック・クイーン (Black Queen) こと桑田このみ (Konomi Kuwata) にもそのパブリック・イメージ (Public Image) とはいささか異なる内面もしくは実情が存在している事が、物語が進むに従って解るのだ。
そして、物語は彼女の内面もしくは実情を起点にして、ふたりの外科医 (Surgeon) の差異を描く事になる。差異とはこの場合、格の違いとも経験値の多寡とも看做す事が可能かもしれない。

そして、ふたりの差異がいずれによるモノと看做すかによって、ふたつの作品の評価、そしてふたりの外科医 (Surgeon) の評価が異なってくる様に、ぼくには思える。

第57話『ブラック・クイーン (Black Queen)』 [19751月13日発表] で、彼女が外科手術 (Surgery) を躊躇したのは、彼女の患者が自身の恋人だったからだ。いつもならば的確にそして冷酷な診断がなされるべき筈なのに、それが出来ない。
しかし、ブラック・ジャック (Black Jack) には一切の躊躇いがない。それは彼女の恋人が彼からみて赤の他人だから、そしてもしかすると恋敵なのかもしれない、と謂う事ではなくて [笑]、彼自身、既に同じ局面に遭遇し、しかも自らがなすべき行為を果たしているからだ。
つまり、同じマンガ作品の第50話『めぐり会い (Confluence)』 [197411月25日発表] での、如月恵 (Megumi Kisaragi aka Kei Kisaragi) に対する子宮癌手術 (Surgery For Uterine Cancer) である。謂うまでもなく、如月恵 (Megumi Kisaragi aka Kei Kisaragi) は彼の初恋の人である。

第199話『終電車 (The Last Train)』[19781月16日発表] で、彼女が抱えている問題は、目下の高度な手術を必要としている患者ではない。かつての恋人であり現在の夫の求めに応じて、外科医 (Surgeon) としての現在の地位と環境を捨てるか否かと謂う問題だ。彼女はそれを、愛情と職業の板挟みと感じているが、ブラック・ジャック (Black Jack) はそう解釈してはいない。外科医 (Surgeon) ならば、患者が必要としている現場に赴くべきであり、彼女は単に現時点で保障されている医療環境に甘えているのにすぎないと看做している。
ブラック・ジャック (Black Jack) がいつでもどこでもどんな場所であっても、その場に応じた外科手術 (Surgery) を行ってしまうのは、他の物語で幾つも語られている。それらを逐一例証するよりも、例えば、彼が常備している無菌テント (Aseptic Tent) の存在を指摘しておけば、充分だろう。

ところで、ぼくには、気になる事がひとつある。

ふたつの物語において、いずれも、ブラック・ジャック (Black Jack) が彼女に睡眠薬 (Sleeping Drug) を投与している事だ。マンガ『ブラック・ジャック (Black Jack)』 [作:手塚治虫 (Tezuka Osamu) 19731978週刊少年チャンピオン連載] と謂う物語の、外形上クライマックスである外科手術 (Surgery) の場には、彼女はそこにいない。いないどころかブラック・ジャック (Black Jack) によって、意図的に排除されている。

彼女の視点からみれば、それは童話『小人の靴屋 (Die Wichtelmanner)』 [『子供と家庭のための童話集 (Kinder- und Hausmarchen)』 [グリム兄弟 (Bruder Grimm) 編 1812年発表] の様にもみえるかもしれない。おのれのあずかりしらぬところで事態が解決し、しかも彼女には未来が約束されているからだ。

だけれども、このマンガ作品の他の物語と比べてみると、この展開はいささか異例だ。
ブラック・ジャック (Black Jack) が外科手術 (Surgery) する場合、しかもそこで語られる物語の中心に同業の外科医 (Surgeon) が存在する場合、まず、彼ないし彼女を助手として外科手術 (Surgery) の場に起用していないだろうか [もしくは起用せざるを得ない状況となっていないだろうか]。

そこに、ブラック・ジャック (Black Jack) の、彼女に対する真意が存在する様にも思える。
つまり、同業の外科医 (Surgeon) でありながらも立ち会う必要すらない、と謂う言下の物謂いが透けてもみえるのである。

images
「ジャックからクイーンへ (From Jack To Queen)」 [上掲画像はこちらから]。

このことばは、初対面の場における彼から彼女に向けて放たれたモノではあるが、そのことばから推し量られる彼の、彼女への視線はブラック・クイーン (Black Queen) と謂うパブリック・イメージ (Public Image) そのまま、 [悪い意味で] 揺らいでさえいない様に思える。

さもなければ、自らの名前にあやかった蔑称を持つ女性に対し、自身と同種の境涯を想定したモノの、それが全くもって別種のモノである事に気付いたからなのか。
ブラック・クイーン (Black Queen) と呼ばれているこの女は、ブラック・ジャック (Black Jack) とは違う、と。

そのいずれの解釈が妥当なのかは、今のぼくには判断がつきかねる。
どちらの解釈も可能な上に、しかも、いずれを採用するかで、ブラック・ジャック (Black Jack) と謂う人物と桑田このみ (Konomi Kuwata) という人物への、自身の視線が定められてしまう様な気がするのだ。

次回は「」。

附記 1. :
桑田このみ (Konomi Kuwata) を演じたゼフィルス (Zephyrus) は、第85話『かりそめの愛を (The Fabricated Wedding)』 [19758月11日発表] にもブラック・ジャック (Black Jack) に困難な患者の外科手術 (Surgery) を依頼する外科医 (Surgeon) として登場するが、この医師は桑田このみ (Konomi Kuwata) ではないだろう。それはふたりの会話にそれを思わせるモノが一切登場しないから、と謂うよりも、ふたつの物語との整合性を考えると、物語が成り立たないからだ。
第57話『ブラック・クイーン (Black Queen)』 [19751月13日発表] がふたりの初対面を描く物語だからそれ以前の物語と謂う可能性は一切なく、第199話『終電車 (The Last Train)』[19781月16日発表] の後では彼女は日本を離れているから又しても可能性は薄い。そして、彼女が日本を離れざるをえなくなったのは、外形上、無免許医 (Lack Of Medical License) が彼女が行うべき手術を行った結果、解雇されたからだ。
作品世界で描かれている時系列に則って、第57話と第199話の間に第85話が存在する為には、第85話での彼女は第199話とは異なる病院に勤務していなければならないが、その可能性はどうなのだろうか。

附記 2.:
ゼフィルス (Zephyrus) のデヴュー作であるマンガ『地球を呑む (Swallowing The Earth)』 [19681969ビッグコミック連載] には、彼女とそっくりな彼女の実子が7人も登場する。
そして、マンガ『ブラック・ジャック (Black Jack)』 [作:手塚治虫 (Tezuka Osamu) 19731978年連載] が週刊少年チャンピオン (Weekly Shonen Champion) に掲載されていた時期、そっくりそのままの風貌をした親子3代が登場するマンガ『ふたりと5人 (Futari To 5-nin : Two And Five)』[作:吾妻ひでお (Hideo Azuma) 19721976年連載] が連載されていた。
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