2016.04.26.10.12

よしのずいから

物心のつく頃には、オペラグラス (Opera Glasses) はあったと思う。折りたたみ式のモノで、一見、シガレット・ケース (Cigarette Case) かなにかの様で、銀色の枠で囲まれた黒いそれの中央には、硬貨の様な薄い円盤が呑み込まれている。指で触るとくるくると回る。
側面にある留め金を外すと不意にふたつのレンズ (Two Lenses) が飛び出して、そこで初めて本来の機能を発揮する事になる。だが、幼い頃の僕には、その機能を発揮させるよりも先に、開け閉めの不思議の方が優っている。
開けたり閉めたり、開閉の途上で止めて [開閉は発条仕掛 (Spring Action) だからそれをするにはちょいとちからと努力がいる] その中の構造を覗いてみたり、そうしていつかどこかで指を挟んで痛い思いをする。
そうして、ようやく、本来の目的に合致した機能を試み始めるのである。

親の触れ込みでは、これは双眼鏡 (Binoculars) である筈だから、遠くのモノが近くにみえる筈なのだが、あまりそんな実感を得られない。いや、確かに実際に覗いたその場でその直後、裸眼 (Unaided Vision) でさっきまで覗いていた辺りをみてみれば、確実にそれらは手許に引き寄せられてみえていた様だ。倍率3〜4倍とはその程度のモノなのだろう。

それよりも納得が得られないのは、モノの大小ではなくて、そこから得られる視野に関する事なのだった。

当時、TV等で得られる、双眼鏡 (Binoculars) からの主観ショットは、ふたつの円を重ねた様な、数字の8を横倒しにした様な映像として表現されていたが、実際にそのオペラグラス (Opera Glasses) を覗いて得られるヴィジョンには、ふたつの円を重ねたモノでもなければ、数字の8でもない。
[勿論、それを無限:インフィニティ (Infinity) の様な、と謂う比喩も可能ではあるが、その記号や概念を知るのは、もう少し後になってからだ。]

images
だから、その当時のぼくの結論としては、オペラグラス (Opera Glasses)は双眼鏡 (Binoculars) ではないのだな、と謂う事だった。
戦争映画 (War Film) か何かで、指揮官 (Commander) の頸からぶら下がっている様な、重厚なあれを使わないと、あのヴィジョンは得られないのに、違いない。
[上掲画像はこちら、TV番組『コンバット! (Combat!)』 [19621967ABC制作] のヘンリー少尉 (2nd Lt. Gil Hanley) [演:リック・ジェイソン (Rick Jason:左) とサンダース軍曹 (Sgt. "Chip" Saunders) [演:ヴィク・モロー (Vic Morrow):右]]

その後、小学校 (Primary School) に上がった後には、倍率が10倍の望遠鏡 (Telescope) を買ってもらったり、旧くなった天体望遠鏡 (Astronomical Telescope) を譲ってもらったり、測量機 (Surveying Instruments) を父が会社から引き取ってきたりと、覗くモノは往々に提供される事にはなるのだがその都度、大なり小なり、主観と客観、創作作品における描写とその実態、理想と現実の差異には、どうしても気づかされざるを得なかったのだ。

それをひとつひとつ、書き綴るのはとても煩わしそうなので、ここではみおくる事にする。

成句であり、以呂波加留多 (Iroha Karuta) の「よ」でもある"葭の髄から天上覗く (To Have A Narrow View Of The World)"と謂う語句からぼくが連想する体験は、以上の様な事なのだった。

次回は「」。

附記:
阿川弘之 (Hiroyuki Agawa) の随筆に『葭の髄から (A Narrow View Of The World)』と謂う作品があるそうだ。雑誌『文藝春秋 (Bungeishunju)』 [1923年創刊] に1997年から2010年の、13年間連載されたそうだ。
ぼくは拙稿の題名が"決められて"(この連載ここで記されたルールに基づいて運用されている為、内容よりも先に表題が決定される)初めて知った。"葭の髄から天上覗く (To Have A Narrow View Of The World)"と謂う語句の意味を確認する為にネット検索している過程で、こちらの頁に辿り着いた。
だから勿論、その随筆は未読である。

その頁に興味深い事が書かれてある。と、謂うか、ぼくにとっては謎の言葉だ。

「『蓋棺録』まで書いて欲しい。」という編集長のウィットに富んだ言葉

この意味が解らない。
編集長が阿川弘之 (Hiroyuki Agawa) に依頼したのは、同誌の巻頭随筆の連載だ。前任者は司馬遼太郎 (Ryotaro Shiba) で、その前任者の物故をもって阿川弘之 (Hiroyuki Agawa) へとお鉢が回ってきた (The Ball Is In His Court)。阿川弘之 (Hiroyuki Agawa) はその依頼に対し、何度か固辞した際の編集長の発言が、上のモノだと謂うのだ。
何故、これが「ウィットに富んだ言葉」になるのか。

文藝春秋 (Bungeishunju)』と謂う雑誌と『蓋棺録 (Memorial Writing)』と謂うコラム欄を調べれば多少の推理は可能だ。
そのコラムは直近に死去した著名人への追悼文であり、その雑誌の巻末に掲載される事になっているのだ。

推理その1:巻頭随筆を書いたその勢いで、巻末コラムである『蓋棺録 (Memorial Writing)』まで書いて欲しい。つまり、『文藝春秋 (Bungeishunju)』と謂う雑誌を丸ごと全て、一切合切を阿川弘之 (Hiroyuki Agawa) 作品で埋めきってもらいたい。

推理その2:巻頭文末の前任者である司馬遼太郎 (Ryotaro Shiba) を追悼するコラムを執筆して彼を悼むと同時に、彼の担当コーナーを引き継いでもらいたい。

推理その3:阿川弘之 (Hiroyuki Agawa) を悼む『蓋棺録』が描かれるまで継続して書いて欲しい。

他にも幾つか思い当たるモノがないわけではないが、果たしてそれらが「ウィットに富んだ言葉」になるのかならないのか。

ただ、ぼくがここで指摘したいのは、こちらの頁で紹介されたこの言葉が、記述者だけが理解可能な言説として存在している点だ。もしも、この編集者の言葉を誰にも理解可能なモノとして存在させたいのであるのならば、恐らく、幾つもの補足を必要とするだろう。

だけれども、それだからと謂って、こちらの頁での記述に手を入れる必要もないと、ぼくは想う。

それはその随筆の題名が『葭の髄から (A Narrow View Of The World)』であるのと同様に、こちらの頁での記述もまた"葭の髄から天上覗く (To Have A Narrow View Of The World)"様な文章である事を許されている様な気がするからだ。
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