2015.10.20.12.22

うそつきはどろぼうのはじまり

幼い時は、よくそんなふうな言説で大人達に叱られたモノで [その当時は] 素直な性分だったから、彼らの言説を字義どおりに受け止めて反省はしてはいたモノの、今、あらためて、このことばに向かうと納得がいかない事ばかりなのだ。

嘘 (A Lie) に関する、諺や成句や慣用句や箴言や … [以下略] は随分、多い筈に違いないが、このことばの得体の知れなさは群を抜いている。

例えば。

指切拳万 (Pinky Swear) の際に登場する成句「嘘ついたら針千本呑ます (Whoever Tells A Lie / Will Drink Down One Thousand Needles)」は、「針千本 (One Thousand Needles)」と謂う語句が非常に怖ろしげに響くと同時に、それを呑まされた後の傷みに想いを馳せればとてつもなく苦しいモノに想えて仕方がない。だって説話集『御伽草子 (Otogizoshi)』にある様に、一寸法師 (The One-Inch Boy) を呑み込んだ (Oni) はたったの1本の針で根を上げて這う這うの体で逃げ出すばかりか、大事な打出の小槌 (Uchide No Kozuchi : Magic Hammer) をも放り出して退散してしまったのだから。それにも関わらずに、呑まされるのはその1000倍の量なのだ。
[ここで発想を転換して、魚介の針千本 (Porcupinefish) を呑まされるとか、マンガ『ワンピース (One Peace)』 [作:尾田栄一郎 (Eiichiro Oda) 1997週刊少年ジャンプ連載開始] に登場したハリセンボン (Harisenbon) を呑まされるとか、お笑いコンビのハリセンボン (Harisenbon) [近藤春菜 (Haruna Kondo) と箕輪はるか (Haruka Minowa) ]を呑まされると解釈しても、辛くて苦しい事には変わりはない。]
だけれども、そこから繰り広げられる想像の箍を振り絞って冷静に読み直してみれば、単なる禁止のことばにしかすぎない。
「嘘をつく (Tell A Lie)」事はそのまま「針千本呑 (Drink Down (One Thousand Needles)」む事と等号で結ばれていて、罪 (Crime) に対する罰 (Punishment) であると同時に、原因 (Cause) に対する結果 (Result) なのである。

「嘘つきは泥棒の始まり (Telling A Lie Is Taking The First Step To Being A Thief)」は、決して「嘘つき (Tell A Lie)」が罪 (Crime) となり、その罰 (Punishment) として「泥棒の始 (The First Step To Being A Thief)」まる訳ではない。

しかし、ここで原因 (Cause) に対する結果 (Result) と謂ってしまえば、懸案事項である「嘘つきは泥棒の始まり (Telling A Lie Is Taking The First Step To Being A Thief)」も原因 (Cause) に対する結果 (Result) となってしまう。
「嘘 (A Lie)」をつく事が「[将来的には] 泥棒 [になる] (To Being A Thief)」事の原因(Cause) であり、「嘘 (A Lie)」をつく事によってその結果 (Result)、きみは「[将来的には] 泥棒 [になる] (To Being A Thief)」のだよ、と。

そして、上の長ったらしい文章の後段をそのまま受けて、今ついたきみの「嘘 (A Lie)」はきみの将来の姿として「泥棒 ( A Thief)」を約束したモノだ、と解釈してしまえば、それはそのまま怖ろしい預言 (Prophecy) のことばとして、聴くモノの耳に響くのかもしれない。

そうではない。

「嘘つきは泥棒の始まり (Telling A Lie Is Taking The First Step To Being A Thief)」の得体のしれなさは、実は「泥棒 (A Thief)」が既に悪 (Evil) の存在であると謂う前提で語られているからだ。そしてその前提を受けてきみのいま放った「嘘 (A Lie)」も悪 (Evil) の存在であるのだと指摘している点にある。と、ぼくは想う。

凄まじく当たり前の物謂いをえらく遠回りして徘徊していると想う方もいるかもしれないが、ここは普段以上に冷静に考えてもらいたい。

幼いこどもが既に「泥棒 (A Thief)」と謂う職業 [敢えてそう書く] のその実態を認識している、と謂う点がまずひとつ。
そして、そんな認識を既に抱いているこどもでさえも「嘘 (Alie)」と謂う行為が悪 (Evil) の所業であると謂う認識を抱いていない可能性がある、と謂う点がひとつ。
このふたつの前提があって初めて、「嘘つきは泥棒の始まり (Telling A Lie Is Taking The First Step To Being A Thief)」と謂う言説が成立するのだ。

あらためて謂い直してみると、きみが「泥棒 (A Thief)」を悪 (Evil) の所業と認識しているのならば、今、きみの放った「嘘 (A Lie)」もそれに匹敵する悪 (Evil) の所業なのだよと、指摘している事なのだ。

幼児教育 (Early Childhood Education) とかしつけ (Discipline) とか謂う観点でみれば即ち、悪 (Evil) の認識がある幼児であっても「嘘 (A Lie)」が悪 (Evil) であると謂う認識は未だに備わっていない。と、謂う事なのだ。
極端な謂い方をしてしまえば、悪 (Evil) の認識は自然に幼児も学習するが、「嘘 (A Lie)」と謂う行為に備わる意味は、きちんと丁寧に教え込まなければいけない、そんな考えにも至ってしまいそうだ。

だから、嘘 (A Lie) ばかりをついて大人達を誑かし、その積み重ねが最終的に自業自得 (He Had It Coming) となってしまう『イソップ寓話 (Aesop's Fables)』の説話『狼少年 (The Boy Who Cried Wolf)』の逸話とは、全く異なるところに「嘘つきは泥棒の始まり (Telling A Lie Is Taking The First Step To Being A Thief)」は立脚している。

勿論、「嘘も方便 (Circumstances May Justify A Lie)」の鏡面でもない。
このことばは単に、散々大人達に謂い聴かされた「嘘つきは泥棒の始まり (Telling A Lie Is Taking The First Step To Being A Thief)」をこども達が大人達に向かって謂い放った際に、自己防衛 (Self-defense) の為に大人達が弁明する際に発せられるモノでしかない。

その結果として、これまで構築されてきた「嘘つきは泥棒の始まり (Telling A Lie Is Taking The First Step To Being A Thief)」に基づく世界観が一挙に崩壊するか否か、それはそのこども次第だ。

「おとなはずるい (You Cunning Fellow)」と。
そこが実は「泥棒の始まり (The First Step To Being A Thief)」なのかもしれないのだが。

images
[掲載画像は映画『大人は判ってくれない (Les Quatre Cents Coups)』 [フランソワ・トリュフォー (Francois Truffaut) 監督作品 1959年制作] のポスター。画:野口久光 (Hisamitsu Noguchi)]

次回は「」。

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