2015.08.18.12.32

うちゅうじんとうきょうにあらわる

映画『宇宙人東京に現わる (Warning From Space)』 [島耕二 (Koji Shima) 監督作品 1956年制作] は、同じく大映 (Daiei Film) 制作の映画『透明人間現わる (Invisible Man Appears)』 [安達伸生 (Nobuo Adachi) 監督作品 1949年制作] に続く「〜現わる」シリーズの第2弾。と、謂っても物語の関連性は一切ない。後者は円谷英二 (Eiji Tsuburaya) の戦後復帰作 [と謂うのも、映画『ハワイ・マレー沖海戦 (The War At Sea From Hawaii To Malaya)』 [山本嘉次郎 (Kajiro Yamamoto) 監督作品 1942年制作] の様な戦意高揚映画を幾つも手掛けていたから映画制作から追放 (The Red Purge) の憂き目にあっていたのだ] だけれども、前者の特撮 (Special Effects) は的場徹 (Tohru Matoba) が手掛けている。彼は後にTV番組『ウルトラマン (UltraMan)』 [19661967年放映] 等の制作に係るがそれはその後の話だ。
だからと謂って、この2作品に続いて「〜現わる」シリーズがあったかと謂うと、少なくとも大映 (Daiei Film) 制作作品にはない模様だ。全部で3作品創られた「大魔神シリーズ (The Daimajin Trilogy)」の第2作目の映画は『大魔神怒る (Return Of Daimajin)』 [三隅研次 (Kenji Misumi) 監督作品 1966年制作] と謂う。

と、無闇に長い枕をひっぱてきたが、こういうどうでもいい事は憶い出したタイミングで書くべきタイミングで書いておかないと、決して浮上する時がない。そして始末の悪い事に、ネタに困った時にさも重要事である様な顔をして、本題に据えてしまう。
だから今、思いついたうちに、とっとと消費してしまうのに限るのだ。

images
映画のタイトル・ロールである宇宙人 (Alien) はパイラ人 (The Pairan) と謂って、ぼく達はいろいろなところでお目にかかっている。映画そのものはなかなか観る事が叶わなかった作品ではあるが [実際に体験したのは成人した後だ]、大伴昌司 (Shoji Otomo) の監修する、もしくは彼が一切関わっていない、怪獣 (Kaiju) 関連の特集記事やその手の図鑑や辞典の類に先ずは登場する。
そして、その際のスチル写真の殆どが上の様な代物だ [掲載画像はこちらから]。
半ば水没しかけている都市に、身体中央部に巨大な眼窩をもつ海星 (Starfish) が屹立しているのだ。

しかし、残念ながら、映画本編にはその様なシーンは登場しない。

パイラ人 (The Pairan) は侵略者ではなくて、地球 (Terra) と謂う惑星に訪れた危難を警告する為に、現れるのだ。いや、ここでは映画の題名に素直に従おう、東京 (Tokyo) に、現れるのだ。この物語の舞台は、東京 (Tokyo) でなければならないのだ。

物語前半は、パイラ人 (The Pairan) と地球人 (Terran) とのファースト・コンタクト (First Contact) の物語で、その後半が、地球 (Terra) への天体衝突 (Impact Event) と謂うカタストロフ (Catastrophe) の映画だ。
まるで、映画『地球の静止する日 (The Day The Earth Stood Still)』 [ロバート・ワイズ (Robert Wise) 監督作品 1951年制作] をパクってしまったら、後に物語後半部の設定は映画『アルマゲドン (Armageddon)』 [マイケル・ベイ (Michael Bay) 監督作品 1998年制作] にパクられたしまった様な印象を抱いてしまうが、それは後の時代のぼく達から観てのもので、恐らく制作者側にはその様な意図は微塵もないだろう。

物語の前半部は、地球人 (Terran) と全く異なる生態であるパイラ人 (The Pairan) を設定したが為に、やや劇画化されているとは謂え、ファースト・コンタクト (First Contact) のハードルは俄然高くなっている。尤も逆の見方をしてしまえば、映画『地球の静止する日 (The Day The Earth Stood Still)』に登場するクラトゥ (Klaatu) [演:マイケル・レニー (Michael Rennie)] がどうみても人間態、と謂うか、飛来した合衆国 (The United States Of America) のマジョリティ (Majority) であるところの白人男性 (White Male) であるのにも関わらずに、彼の真意が伝わらないと謂う設定自体は、シリアスで現実的で、その結果、絶望的な諦念感に襲われてしまう。
寧ろ、映画『宇宙人東京に現わる (Warning From Space)』 の方が、現実味を帯びていない分、夢と希望に満ちているのだ。

同じ事は物語後半部にも謂える。
同じ、地球 (Terra) への天体衝突 (Impact Event) を主題にもってきた、映画『地球最后の日 (When Worlds Collide)』 [ルドルフ・マテ (Rudolph Mate) 監督作品 1951年制作] よりも、夢と希望に満ちているのだ。それは後に東宝 (Toho) が手掛けた同主題の映画『妖星ゴラス (Gorath)』 [本多猪四郎 (Ishiro Honda) 監督作品 1962年制作] にも謂える事だ。なにせ、ごく一部の限られたヒトビトだけが生き延びる為に逃亡するのではなくて、その映画では地球 (Terra) ごと逃げてしまおうと謂うのだから。

と謂う様な事を滔々と語ると、この映画と映画『アルマゲドン (Armageddon)』 [マイケル・ベイ (Michael Bay) 監督作品 1998年制作] との違いは、その手法の違いと現実味の有無になってしまう。
果たしてそうなのだろうか。

映画『宇宙人東京に現わる (Warning From Space)』は、明確に反核 (Antinuclear) を主題にしている。パイラ人 (The Pairan) が東京に現れた当初の目的は、核兵器 (Nuclear Weapons) の廃絶だ。
当時の [少なくとも映画の中に描かれている世界は] 核兵器 (Nuclear Weapons) の均衡によって、平和が維持されている。だれも核兵器 (Nuclear Weapons) の放棄を敢えてする事も出来ない、むしろそれが必要なのだ。
しかし、ここに核兵器 (Nuclear Weapons) よりも大きな脅威が登場し、全世界はその脅威を排除する為に、全ての核兵器 (Nuclear Weapons) をそこに向けて発射せざるを得なくなる …。

この物語の構造、実は映画『ゴジラ (Godzilla)』 [本多猪四郎 (Ishiro Honda) 監督作品 1954年制作] に似ている様な気もするのだ。
核実験 (Nuclear Weapons Test) によって覚醒してしまったゴジラ (Godzilla) を退治する為に、核兵器 (Nuclear Weapons) 以上の効果をもたらしうる新兵器オキシジェン・デストロイヤー (Oxygen Destroyer) の登場と、その発明者である芹沢大助 (Daisuke Serizawa) [演:平田昭彦 (Akihiko Hirata)] の末路の物語と。
但し、映画『ゴジラ (Godzilla)』に宇宙人 (Aliens) が登場しない様に、映画『宇宙人東京に現わる (Warning From Space)』には怪獣 (Kaijyu) も登場しない。核兵器 (Nuclear Weapons) に勝る新兵器は登場するが、その物語は前者が苦味のあるデッド・エンド (Dead End) であるのに対し、後者は核兵器 (Nuclear Weapons) の消滅したハッピー・エンド (Nuclear Weapons) だ。
しかし、物語の終幕は全く異なるが、映画の主題やその為に登場する素材の起用のされ方はお互いによく似ている様にぼくには思える。

結論じみた書き方をすれば、荒唐無稽な映画『アルマゲドン (Armageddon)』 [マイケル・ベイ (Michael Bay) 監督作品 1998年制作] 以上に、映画『宇宙人東京に現わる (Warning From Space)』は荒唐無稽な映画だけれども、そこにあるのは無邪気な性善説 (View Of Human Nature As Fundamentally Good) の様な気がしないでもない。
そして、その性善説 (View Of Human Nature As Fundamentally Good) は、性善説 (View Of Human Nature As Fundamentally Good) の否定と謂う結論に横着せざるを得ない映画『ゴジラ (Godzilla)』と、根底ではあい通じている様に、ぼくには思えるのだ。

映画題名に、東京 (Tokyo) と限定的に断言するその気概も含めて。

次回は「」。

附記:
この映画のパイラ人 (The Pairan) を語るのに決して忘れてはならない事がひとつある。岡本太郎 (Taro Okamoto) のデザインである、と謂う事だ。
今では渋谷駅 (Shibuya Station) にある『明日の神話 (Myth Of Tomorrow)』[1967年制作] がもしかしたら最も馴染み深い作品になってしまうかもしれない岡本太郎 (Taro Okamoto) 作品ではあるが、ぼく達世代からみれば、岡本太郎 (Taro Okamoto) とは、『太陽の塔 (The Tower Of The Sun)』[1970年制作] の岡本太郎 (Taro Okamoto) であり、「グラスの底に顔があってもいいじゃないか (Never Mind The Glasses, Here's The Face On The Bottom)」で有名な『顔のグラス (Face Glass)』 [1976年制作] の岡本太郎 (Taro Okamoto) でもある。
その彼が手掛けた宇宙人 (Ailen) がパイラ人 (The Pairan) なのである。映画本編でのクレジットでは色彩指導 (Color Designer) と謂う扱いなのだけれども。
だがそれ以前に、悶々としてしまうのは、その形態がどうみても海星 (Starfish) であって、成田亨 (Toru Narita) デザイン・高山良策 (Ryosaku Takayama) 造形のウルトラ怪獣 (Ultra Kaiju) 達とみくらべるとどうしても見劣りがしてしまう事だ。
尤も、他の岡本太郎 (Taro Okamoto) 作品を時系列に並べて、そのなかにパイラ人 (The Pairan) を発見してしまうととてつもなく愛おしくみえてしまうのだけれども。
この映画が制作される2年前の1954年、岡本太郎 (Taro Okamoto) はベストセラーとなった書籍『今日の芸術 時代を創造するものは誰か (Art Today - Who Creates the Age?)』を発表している。いまとなっては至極当たり前の事しか書かれていないその本だけれども、その本は当時の若者に物凄いエネルギーを与えたと聴いている。
パイラ人 (The Pairan) も果たして?
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