2015.04.21.12.09

きぼうというなのあなたをたずねて

幼い頃に聴いた流行歌と謂うモノは、聴いた本人がその意味も解らないうちから何度となく至る所で繰り返された結果、まるで怖ろしい呪詛の言葉であるかの様に、ふと、忘れた頃に脳内で再生されてしまう事がある。

そんな経験は、ぼくだけにある事なのだろうか、それとも、誰にでも共通の体験なのだろうか。

ぼくにとってのそれは例えば『花と蝶 (Flowers And Butterflies)』 [作詞:川内康範 (Kohan Kawauchi) 作曲:彩木雅夫 (Masao Saiki) 歌唱:森進一 (Shinichi Mori 1968年発表] だったり『アカシアの雨がやむとき (The Rain Holds Up Over Acacia)』 [作詞:水木かおる (Kaoru Mizuki) 作曲:藤原秀行 (Hideyuki Fujiwara) 歌唱:西田佐知子 (Sachiko Nishida) 1960年発表] だったりする。

前者の、花をおんなに蝶をおとこにへと変換させる比喩は、今となっては噴飯モノのあまりにも直裁的な謂い廻しでしかない。だが、この曲が絶えず流れていた当時は、実際に、おんなが花となりおとこが蝶となる様に思えて仕方なかった。
まるで魔術師かなにかの策謀によって昆虫に姿を変えられてしまった我身が、これまた植物へと変貌されてしまった同級生のもとを飛び回る宿命なのかと思うと、心底、怖ろしいと思ったのだ。

だから、後者の、雨に濡れる事が即、自身の死に結びつくという発想が、幼いぼくにとっての恐怖体験である事は、至極、当然の成り行きなのだ。
しかも後年、全世界に同時に起こった降雨が、全人類滅亡の序曲になるマンガ『ワースト (Worst)』 [作:小室孝太郎 (Kotarou Komuro) 1969週刊少年ジャンプ連載] や、狂信者達が降雨でどろどろに溶けてしまう場面がクライマックスの映画『魔鬼雨 (The Devil's Rain)』 [ロバート・フュースト (Robert Fuest) 監督作品 1976年制作] 等を体感してしまうから、その度にこの楽曲を想い越しては恐怖に震えてしまうのだ。

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そんな如実具体的な恐怖感こそ伴わないモノの、『希望 (Hope)』 [作詞:藤田敏雄 (Toshio Fujita) 作曲:いずみたく (Taku Izumi) 歌唱:岸洋子 (Yoko Kishi) 1970年発表] と謂う歌の醸し出す雰囲気は、そんなトラウマ [心的外傷] (Psychological Trauma) に近いモノをぼくに遺して、現在に至っている。
表題はその楽曲の冒頭、唄い出しの部分だ。
[掲載画像はこちらから]

その歌詞は、こう始まる。

「希望という名の あなたをたずねて / 遠い国へと また汽車に乗る」(歌詞はこちらから)

この歌の嫌なところは、歌詞のこの部分で歌い終わっていないからだ。

もしも仮に、この部分でこの楽曲が終わっていたのならばまだ、いい。まるで映画かなにかの物語の終焉部に流れるのには、もってこいの感興だ。
なにかが終わり、なにかの物語が語り終わったその後に、物語の主人公がその物語の舞台から退場する、それを明らかなモノとする為に、汽車に乗りどこかへと旅立つ。あとはただ、エンド・マークとその後に続くながいながいクレジット・ロールを観守ればいい。

だけれども、この歌はここから始まるのだ。
しかも、念を押すように「また」と謂う語句が加えられている。
それだけで、この歌が抱え込んでいるやるせなさは完璧なのだ。
にも関わらずに、さらに駄目押しをするかの様に、こんな語句が加わるのだ。

「わたしの旅は 終わりのない旅」

だから、この歌は、ぼくが本来望んでいる様な、物語の終わりを告げる楽曲でもなんでもないのだ。
始まりを告げる楽曲でもない。
なにも始まらないし、なにも終わらない、主人公の内心にある、逡巡だけが唯々諾々と無間に繰り返されているだけなのだ。

しかもそれに対してさらに追い討ちをかけるかの様に、その歌の題名が『希望 (Hope)』と謂うのである。

それをもって、ぼくのなかのトラウマ [心的外傷] (Psychological Trauma) のひとつを表象する楽曲として、この歌は位置付けられている。

次回は「」。

附記:
だけれども、この楽曲の中で、永遠に逡巡が繰り返されている結果 [そして多分、それはこの楽曲だけの事ではないと想うのだけれども]、『津軽海峡・冬景色 (Tsugaru Kaikyo Fuyugeshiki [Tsugaru Strait - Winter Scene])』 [作詞:阿久悠 (Yu Aku)・作編曲:三木たかし (Takashi Miki) 歌唱:石川さゆり (Sayuri Ishikawa) 1977年発表:こちらで紹介済] の冒頭句の様な、"荒技"が産み出されたのかもしれない。
よく謂れている様にその曲では、冒頭2句で上野駅 (Ueno Station) から青森駅 (Aomori Station) まで一足跳びなのだ。それが可能なのも、それまでの歌の歴史があっての事なのかもしれない。
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