2015.02.10.13.02

らすとおぶいんぐんらど

直訳すると、大英帝国の最期 (The Last Of England) となってしまう映画『ラスト・オブ・イングランド (The Last Of England)』はデレク・ジャーマン (Derek Jarman) の監督作品で1987年の公開作である。

この映画を観るのには、ふたつに視点が与えられる様に思える。
ひとつは作家であるデレク・ジャーマン (Derek Jarman) に擦り寄ったパーソナルなモノ、もうひとつが作品名にある様に、当時のイギリスと謂う国 (United Kingdom Of Great Britain And Northern Ireland) が抱えていた諸問題を念頭に観るモノ、である。
但し、このふたつの視点は決して対立するモノでも、優劣を競うモノでもない。それぞれが相互に侵犯し、相互に共存しているのだ。

デレク・ジャーマン (Derek Jarman) の多くの作品がそうである様に、物語性は希薄だ。幾つかの映像の断片が交錯する様に登場し、観るモノはそこから様々なイメージを救いとる。その際のよすがになるのが、上に挙げたふたつの視点なのである。

映画制作の前年、1986年に監督デレク・ジャーマン (Derek Jarman) のHIV感染 (HIV Positive) が判明、それ以降、彼の作品はおおかれすくなかれその病魔の存在を抜きにして、語る事が出来なくなってしまう。それは創る側の姿勢と謂うよりも、観る側の姿勢がそうなってしまうのだ。
「ああ、このひとはもうすぐ死ぬのだな」
「きっとこの作品が遺作となるのだろう」
そんな強迫観念 (Obsession) を背負いこむと同時に、その強迫観念 (Obsession) に安心して、眼の前の映像を堪能する事が出来てしまうのだ。

作品冒頭、上半身裸の青年が、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ (Michelangelo Merisi da Caravaggio) の絵画作品『愛の勝利 (Amor Vincit Omnia)』 [1601年~1602年制作] を打擲し陵辱するシーンが映し出される [その一部は無音だがこちらで観る事が出来る]。
この作品を観る殆どの観客は、デレク・ジャーマン (Derek Jarman) の前作が映画『カラヴァッジオ (Caravaggio)』 [1986年制作] である事を知っている。この映像作家の作品のなかで最も物語性が強いと同時に、半ば、映像作家の自伝的要素も強いと目されている作品だ。
通常の、映像作家のその作品であれば、映像作家自らが前作を乗り越えようとする意志表示や決意声明じみたモノの表出と捉えるべきところを、ぼく達はそこに彼を蝕む病魔の存在を思い起こしてしまう。

その方が安心できるからだ。

客観的に捉えれば、そこで映し出される行為は酷く馬鹿馬鹿しいモノなのだ。絵画作品とは謂え、1枚のかみっぺらに鞭を与え、そこに描かれている有翼の少年 (Like An Angel) の裸像に行為を迫る。他者の視点でおのれの自慰 (Masturbation) をみれば、そのどれもが酷く馬鹿馬鹿しいモノでしかないが、それの最たるモノと謂っていいのかもしれない。
だからそれを嘲笑しせせら嗤って観ていられればいい筈なのに、何故か、ぼく達はそれを美しいと思ってしまう。
その要因は、その絵画作品『愛の勝利 (Amor Vincit Omnia)』 [1601年~1602年制作] であるし、画家であるよりも犯罪者であったと謂うべきミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ (Michelangelo Merisi da Caravaggio) の生涯であるし、その映像作品である映画『カラヴァッジオ (Caravaggio)』 [1986年制作] ではあるのだろう。
だけれども、そのもうひとつの強力な要因となってしまうのが、その映像作家であるデレク・ジャーマン (Derek Jarman) が突きつけられた運命、なのである。そして、その最後の強力な要因によって、観るモノは免罪符 (Indulgentia) を手に入れてしまうのだ。

免罪符 (Indulgentia) は必要なのかと問われれば、諾と応えるべきだろう。
と、公開当時に劇場でこの作品を体験したぼくならば、答えた筈だ。

デレク・ジャーマン (Derek Jarman) ならではの映像美に惑溺出来る / 出来た筈なのに、決してこころ穏やかではない。
彼の作品は、静謐で緩慢である世界に満たされている筈なのに、全編をとっても強い感情が支配していて、とても息苦しいのだ。

それ故に、おのれの衣服を切り裂きながら乱舞するティルダ・スウィントン (Tilda Swinton) のシーンは怖ろしいくらいに美しい。彼女の背後に鳴り響く、ディアマンダ・ギャラス (Diamanda Galas) の咆哮 [『デリヴァー・ミー・フロム・マイン・エネミーズ (Deliver Me From Mine Enemies)』[アルバム『ザ・デヴァイン・パニッシュメント (The Divine Punishment)a>』収録 1986年発表] のヴァージョン違い?] もあいまって、陳腐な表現だけれども、この世のモノとも思われない世界を堪能できる [こちらで視聴可]。
ここだけは強い感情、行き場のないモノが、祈りとも願いとも、ひとつの方向性を与えられて、その1点に向けてのみ昇華させられてゆく。
逆説的な表現となってしまうのだけれども、ここだけは安心してこころおきなくその映像に耽溺出来るのだ。

images
上記掲載画像は、映画『ラスト・オブ・イングランド (The Last Of England)』のモチーフのひとつともなった絵画作品『イングランドへの最後の一瞥 (The Last Of England)』[画:フォード・マドックス・ブラウン (Ford Madox Brown) 1855年制作]。
映画のなかにも登場する。

次回は「」。

附記:
上に挙げたもうひとつの視点である「当時のイギリスと謂う国 (United Kingdom Of Great Britain And Northern Ireland) が抱えていた諸問題」に関しても本来は記述しなければならないのだけれども、今のぼくにはちょっと手にあまる。
だから、覚書程度にひとつ記しておく。
英国病 (Sick Man Of Europe) と揶揄された当時の経済状況と、それを打破する為に為されたサッチャリズム (Thatcherism) と謂う政策は、まるでそのまま今の日本 (Japan) に引き写しの様に思えて仕様がない。
だから映画の中に登場するテロリスト (Terrorists) 然とした振る舞いに及ぶ目出し帽 (Balaclava) の一群は、イスラム国日本人拘束事件 (I Am Kenji) の首謀者達へと連想を及ぼさせる。ここ数週間、嫌になるくらいにみせつけられた映像の非現実感もあいまって、だ。
せめて、日本のデレク・ジャーマン (Derek Jarman) とでも称せられるべき映像作家が登場してくれればいいのだけれども [勿論、そんなふたつなを与えられる彼ないし彼女が不治の病に冒されているべき筋合いは一切ない]。
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